飯田蛇笏 靈芝 昭和六年(四十一句) Ⅳ
雲漢の初夜すぎにけり磧
[やぶちゃん注:「初夜」六時(仏教で一昼夜を晨朝(じんじょう)・日中・日没(にちもつ)・初夜・中夜・後夜(ごや)の六つに分けたもので、この時刻毎に念仏や読経などの勤行を修した)の一つ。戌の刻で現在の午後八時頃。宵の口。「そや」とも読む。]
くづれたる露におびえて葦の蜘蛛
山びこに耳かたむくる案山子かな
山田なる一つ家の子の囮かな
よろよろと尉のつかへる秋鵜かな
[やぶちゃん注:「よろよろ」の後半は底本では踊り字「〱」。]
浪々のふるさとみちも初冬かな
極月やかたむけすつる桝のちり
温石の抱き古びてぞ光りける
牧岡神社
雪ふかく足をとゞむる露井かな
[やぶちゃん注:「牧岡神社」不詳。これは大阪府東大阪市出雲井町にある枚岡神社の誤りではなかろうか? この境内にはかつては楠正成の嫡男「楠木正行公首洗いの井戸」と呼ばれた井戸がある。サイト「大坂再発見!」のYoshi氏の「正行縁の井戸」の記載によれば、『東大阪市の枚岡神社境内に隣接する枚岡梅林の入り口に井戸がある。伝わるところでは1348年(正平3年)1月、楠木正行・正時兄弟、和田高家・賢秀兄弟を始め一族郎党が高師直率いる北朝の大軍と戦い、一族郎党30数名は討ち死にしたが、討ち取られた正行の首はこの井戸で洗われたという』。『この話は、四條縄手の合戦の場所が現在の四條畷市では成り立ちにくく、東大阪市四条町を中心としたならばありうる話と思われる。いずれにしてもその時正行の首はどこに埋葬されたのだろうか』と記しておられるが、この「露井」(雨曝しの井戸の謂いと思われる)はリンク先の現状を見てもそれっぽくはある。但し、実は「山廬集」でもここは「牧岡」となっている。以下、当該の「大阪行 八句」と前書きする全句を引いておく。
大阪行 八句
雪 こゝろえて緒口とる雪の宴(ウタゲ)かな
牧岡の神代はしらず雪曇り
雪ふかく足をとゞむる露井かな
神山や霽れ雲うつる雪げしき
詣路や木々の古實の雪まじり
古りまさる雪の籬とおぼえたり
小柴門出入のしげき深雪かな
魚駒樓即事
雪おちて屋をゆるがす天氣かな
「魚駒樓」は不詳。訪ねた俳人仲間の庵名か。識者の御教授を乞う。]
東行庵
松風にきゝ耳たつる火桶かな
鰒鍋や醉はざる酒の一二行
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