篠原鳳作句集 昭和八(一九三三)年六月
首里、尚家の桃原園所見
バナナ採る梯子かついで園案内
[やぶちゃん注:「尚家」は琉球王朝の王統であるが、その系譜は単純ではない。例えば琉球最後の王朝である第二尚氏の王統は第一尚氏尚泰久王の重臣であった金丸が尚泰久王の子尚徳王に代わって王位に就いて尚円王と名乗ったことに始まる。そうした経緯はウィキの「第二尚氏」及びそこからリンクされる各記載に譲るが、最後の王第十九代尚泰王治世下の明治一二(一八七九)年に行われた琉球処分によって王家による琉球支配は終焉、尚泰は東京への移住を命ぜられて形ばかりの侯爵に叙せられ、分家も男爵に叙せられた。尚泰は沖縄との往来を禁止され、尚家一族の大半は沖繩に残ったとある。ここに出る首里にあった桃原園という庭園(若しくは次の知られた鳳作の名句や陸続とあるマンゴーやサボテンの句群がここで創られたものだとするならば、当時既にこの尚家所有のそれはバナナやメロンを栽培する果樹園や熱帯植物園のようなものになっていた可能性も浮上する)もそうした尚家所有のものであったものか? 現在ネット上では那覇市首里桃原町の地名以外にはそうした施設は地図上では現認出来ない。首里城の北西(龍潭から直線で五百メートルの直近)に位置する。鉄の暴風によって跡形もなく消失してしまって再現されなかったものか? 識者の御教授を乞う。]
炎帝につかへてメロン作りかな
よじのぼる木肌つめたしマンゴ採り
マンゴ採り森こだまして唄ひをり
[やぶちゃん注:この「首里、尚家の桃原園所見」の前書きを持つ『一聯四句』(底本年譜の表現)は六月発行の『天の川』の巻頭を飾ったもので、同誌で鳳作の句が巻頭を飾った最初であり、しかも二句目の「炎帝につかへてメロン作りかな」は鳳作『開眼の句といわれる』(年譜の表現)ものである。私も大好きな一句である。]
靑東風にゆられゆられてマンゴ採り
[やぶちゃん注:「靑東風」は「あをごち(あおごち)」と読み、一般には夏の土用(七月二十日頃から始まる四季節の一つである立秋前の十八日間を指す)の青空に吹く東風、土用東風(どようこち)を指すが、作句時期(『雲彦沖繩句輯』所収で推定六月)から、これは初夏の青葉の間を吹き抜ける東風の謂いである。]
サボテンの人を捕らんとはたがれる
サボテンの指さきざき花垂れぬ
浜木綿に佇ちて入り日を拜みけり
雛祭すみしばかりにみまかりぬ
[やぶちゃん注:以上九句は六月の発表若しくは創作句。]
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