萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「若きウエルテルの煩ひ」(13)「はなあやめ」(Ⅳ) 「はなあやめ」了
ひとゝせにひとゝき逢ひてひと日をば
千日まつと悲しきたより
水の音蛙の唄につゝまれて
かゝる夕べをもの言ひしひと
千石の水あぶ心地ひぐらしの
一時に鳴きぬ木陰路入れば
[やぶちゃん注:この一首は朔太郎満二十二歳の時の、第六高等学校『交友会誌』明治四一(一九〇八)年十二月号に掲載された歌群「水市覺有秋」の一首、
千石の水あぶ心地日ぐらしの一時に啼きぬ木蔭路入れば
の表記違いの相同歌。]
むらさきの路傍の花のちいさきを
愛でしかばかりに行く車びと
(以上二首鹽原温泉途上ノ作)
[やぶちゃん注:「路傍」の「傍」は原本では「亻」ではなく(こざとへん)であるが、校訂本文を採った。「ちいさき」はママ。底本年譜の明治四一(一九〇八)年八月(朔太郎満二十一歳)の条に、『一家で鹽原温泉へ行く。一人で日光へ廻り、中禪寺湖畔に泊る』とある。この一首も前歌と同じく、歌群「水市覺有秋」の一首、
むらさきす路上の花のちひさきを愛づるばかりにゆく車かな
の表記違いの相同歌。なお、この折りの中禅寺湖湖畔での経験を素材としたと思われる萩原朔太郎の小説「夏帽子」がある(リンク先は私のブログの電子テクスト)。未読の方には是非お勧めしたい作品である。]
驚きぬ日輪みれば紅熱(ぐねつ)して
日葵向(ひぐるま)花とくちずけするに
[やぶちゃん注:「日葵向花」「日葵向」の文字列はママ。朔太郎満二十歳の時の、『無花果』(明治三九(一九〇六)年十一月発行)に「美棹」の筆名で掲載された歌群の一首、
おどろきぬ日輪みれば紅熱してひまわりばなとくちづけするに
の表記違いの相同歌。
この一首の次行に、前の「くちづけするに」の「ち」位置から下方に向って、以前に示した特殊なバーが配されて、本「はなあやめ」歌群の終了を示している。]