中島敦 南洋日記 一月二十三日
一月二十三日(金) マガンラン
朝食はツ・ドン(オトキチ)の作りしおぢやに豚肉罐詰。桃缶詰。後、佐伊藤氏よりパパイヤとバナナ揚を持たせ來る。十時シロウの動かす纖維工場の船にのせて貰ひ、幅廣きリーフを海岸傳ひにアコール迄行く。一帶の見事なる椰子林。マウイの許にて一休。中々しやれた家なり。アコール部落唯一人のインテリなりと。伊藤氏を待てども來らざれば、マガンランに向つて立つ。途中のアカヅ(赭土丘陵地)のタコの木の景觀は實に宜し。兩側に海・リーフの眺望。獨乙時代に運河を掘らんとせし趾といふがあり。パラオ傳説によれば、パラオはオポカズ女神の身體にして、今、通りつゝある地峽は頸に當ると。一時前にマガンランに入る。ヤイチ留守。子供等のみあり。村吏事務所前のアミアカの下の休み場の竹の腰掛にて、ひるねす。やがてヤイチが家の二階に入る。頗る風通しよし。粥を炊かせて喰ふ。アミアカ下の休み場の賑はふは、今日船がコロールより入るればニュースを聞かんとてなり。夕方、土方氏と一島女と共に石柱址を見に行く。左右に海を見下す章魚木多き良き路なり。マンゴーを喰ひつゝ古き石柱を見る。┛形に續ける三列の石柱群。中に人面石數箇。たゞそのあたり一面タピオカ畑となれるには驚かされたり。六時半頃歸る。ヤイチ既に在り。配給に忙し。カムヅックルのさしみと鹽煮とタピオカ。夜、室内は暗けれど、外の月は明るし。月下に、路を距てし一舊家とその前庭の趣、仲々に良し。夜、小便に送起れば、ヤイチが板の間に裸體にて熟睡しをれり。
[やぶちゃん注:太字は底本では総て傍点「ヽ」。「┛」は底本では細く、「L」の左右反転型。
「カムヅックル」刺身でも潮煮でも食える海産生物らしいが不詳。識者の御教授を乞う。]
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