中島敦 南洋日記 一月二十四日
一月二十四日(土) カヤンガル
六時前起床。暗き中にてヤイチの女房が炊きし粥を喫し、波止場に向ふ。たこの木。洗身場・小川。水浴せる男兒。休み場に船客多勢。蟹の足を炙りて喰ふもの。靴を穿ち、しやれのめして、幼年倶樂部を讀む娘。燒玉の音を聞きて、一同あわてゝ乘込む。コンレイに寄つてから海は相當に荒る。四時間ばかりにしてカヤンガル島に着く。タマナのすばらしき玉樹。その下の竹の休み場。そこに集へる、赤褌、手斧のルバック達。娘共は少し離れて集まり立ち船を迎ふ。エラタラオ(不在)の家に上り込む。少女ブルブルト。晝食はビンルンムと鮪燻製。椰子水。土方氏に連れられ南村へ行つて見る。アバイ。書かれたディルン・ガイ。南村へ通ずる直線路。印度素馨の竝木。椰子林。ショウカイサンの家で一休。ヤシ蜜作り。猩々木。林の中の村長の家を訪ねしも留守。海岸傳ひに戻る。恐ろしく美しく白き濱。カヤンガル・ゲリュソス・ウルブラス・オルラック四島にて環礁をなし、礁湖を抱けるなり。淺き水の美しさ。貝を拾ふ。カラールバイ女の家に行きバナナを喰ひ蜘蛛貝を貰ふ。面白き女なり。エラタカオの家に戻り一休みしてから獨りで島を歩き廻り、東海岸に出づ。西側の礁湖とは事變り、荒濱なり。歸りてバナナを喰ふ。夕食はブルブルトに飯を炊かせる。アルコロンの天野の店の島民女と其の助手らしき女も此の家に泊る。土方氏背中痛。月夜の屋外に歌聲するにつられて外に出で素馨竝木、海岸等を逍遙。たまなの黑き影の大きさ。濱の白さ。女共。水底の砂もよまるゝ水の明るさ。ポクポクと曲りて葉を落せる素馨の枝を透かして見るオリオン星。夜具無しでゴザの上に寐る。遲く迄女共べチヤクチヤしやべる聲。いやに靜かになつたのに氣付き見ればランプの光の下、誰一人をらぬ如し。(朝見れば、皆隅の方にかたまつて寐てゐたものの如し)
[やぶちゃん注:「燒玉」焼玉エンジン。ウィキの「焼玉エンジン」によれば、『(英:Hot bulb engine)とは、焼玉(やきだま、英:Hot bulb)と呼ばれる鋳鉄製の球殻状の燃料気化器を兼ねた燃焼室をシリンダーヘッドに持ち、焼玉の熱によって混合気の熱面着火を起こし燃焼を行うレプシロ内燃機関の一種。焼玉機関とも言われる。英語では "Hot bulb engine" と呼ばれる』とあるイギリス人ハーバート・アクロイド=スチュアートが一八八六年が試作機を製作、一八九〇年に特許申請、一八九二年には『イギリスのリチャード・ホーンスビー・アンド・サンズ社がスチュアートの特許により初めて商品化した』とある。その後改良されたボリンダー式機関が生まれ、『日本では漁船などの小型船用エンジンとして大いに普及し、焼玉エンジンの代名詞にもなった。小型船用で普及した焼玉エンジンのシリンダー数は普通1本4本で、直列配置で、竪型である。小型船用の焼玉エンジンの1気筒当たりの出力は、およそ3~30日本馬力を出すことができた』が、『後の小型ディーゼルエンジンの普及とガソリンや軽油の入手性向上(石油精製工業の発展による供給量の拡大)により、1950年代以降に焼玉エンジンは衰退し駆逐された』とある。このウィキの光学的部分はとても専門的で、私なんぞにはよく解らない。「プラグのあれこれ」というサイトのこのページが私のような者にも原理と発動がよく分かる。起動したそれと独特の何だか懐かしい音はかなり動画でアップされている。例えば、こことか、ここ。
「ビンルンム」「十二月二十一日」の日記に「タピオカのちまき( Binllŭmm )」とある。中島敦の「環礁――ミクロネシヤ巡島記抄――」にも『ビンルンムと稱するタピオカ芋のちまき』(筑摩版旧全集第一巻に拠る。太字は底本では傍点「ヽ」)とある。
「蜘蛛貝」貝殻に独特の七本の棘状突起を持つ腹足綱盤足目スイショウガイ超科スイショウガイ(ソデボラ)科クモガイ属
Lambis lambis 。老婆心乍ら、食用である。]
« 萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「若きウエルテルの煩ひ」(14)「晩秋哀悼歌」(総てが「ソライロノハナ」のみに載る短歌群) / 「若きウエルテルの煩ひ」了 | トップページ | 『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 名島 »