杉田久女句集 125 瓢 附 杉田久女 随筆「瓢作り」
この夏やひさご作りに餘念なく
咲き初めし簾越しの花は瓢垣
[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年三十九歳の時の句。「簾越し」は「すごし」、「瓢垣」は「ふすべがき」か「ふくべがき」か「ひさごがき」か。私は初読、個人的な韻律の好みから「ふすべがき」と読んだが、次の句の「繭瓢」を角川書店昭和二七(一九五二)年刊の「杉田久女句集」では「まゆひさご」と読んではいるから、「ひさごがき」か。]
露けさやうぶ毛生えたる繭瓢(まゆひさご)
[やぶちゃん注:昭和二(一九二七)年三十七歳の時の句。「繭瓢」とは聞きなれない語であるが、後掲する昭和二(一九二七)年九月発行の『天の川』に掲載された、随筆「瓢作り」によって、久女が好んだ自庭での瓢簞作りの中で、『子供のつくつてゐるので、二尺たらずのかはいゝ棚に小まゆ程のが、二つ三つ漸く最近になりはじめた』とある、まさにその「小まゆ程の」ものを「繭瓢」と呼んでいると考えてよかろう。造語っぽいが、ヒョウタンを育てたことのある方や親しく見たこのとある方は、当該随筆を読まずともこのイメージは比較的容易に腑に落ちるものである。少なくとも私はそうである。なお、当時久女三十七歳、長女昌子は満十六、次女美津子は十一歳であった。]
靑ふくべ地をするばかり大いさよ
晩凉やうぶ毛生えたる長瓢
[やぶちゃん注:底本は「晩涼」であるが、ここは後掲する久女の随筆「瓢作り」の表記を採用した。]
颱風に傾くまゝや瓢垣
枯色の華紋しみ出し瓢かな
[やぶちゃん注:夕刻に咲くスミレ目ウリ科ユウガオ属
Lagenaria siceraria種
変種ヒョウタン Lagenaria
siceraria var. gourda
の白い花弁には独特の紋様がある。グーグル画像検索「ひょうたん 花」。]
反古入れの大瓢簞に左右の塵
[やぶちゃん注:「瓢簞」の「簞」の字は底本のママ。
以下、底本第二巻にある昭和二(一九二七)年九月発行の『天の川』に掲載された、随筆「瓢作り」の全文を恣意的に正字化して示す。太字は底本では傍点「ヽ」、踊り字「〱」「〲」は正字に直した。
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瓢作り
今年私は瓢作りを樂しみに、毎朝起きるとすぐ畠へ出てゆく。
まづ門傍のポプラの枝へはひ登つて、ぶらりと下がつてゐる大瓢が一つ。これはまるでくくりのない、丁度貧乏德利みたいにそこ肥りのした奴。私がこないだ虛子先生にお目にかかりに別府迄行つてきて、汗の單帶をときすてるとすぐ見に行つたら、ほんの二日の間に見違へるほど快よくまつ靑く太つてゐた。あんまりのつぺりとくくりがないので一體瓢簞だらうか白瓜か、もしくは信州邊でゆふごと言つてゐるかんぺうを作る瓜なのか、などと家中で評定とりどりだつたが、やはりずぼらながら瓢簞であるらしい。實に大まかな氣樂げなかつかうをして、夕立雨の時などはうぶ毛の生えたまつ靑な肌をポトポトと雫がつたふ。夕立晴の雲がうごく頃には、柄の長い純白な瓢の花が、涼しげに咲き出す。この外にもポプラの樹に這ひついてゐる瓢が三木。之れはアダ花が咲くのみで、まだドンな形のとも見當がつかない。
一體うちでは棚をつらうつくらうと話しあつてゐる中に、樹に垣に地面にどの蔓もが靑々と這ひまはり、そこら中に花が咲き出したのであつた。
さて私は、茄子や葉鷄頭の露にふれつつ徑を歩むと、そこには瓢の葉をきれいにまきつけた低い垣根が、あちこちに長瓢をぶら下げてゐた。この瓢簞は頸の長い、瓢逸ないかにもごまな呑氣げなかほして、一とゝころに四つも五つもよりあひ、はては蔓が重くなつて地べたに尻を落ちつけてしまつてゐるのもある。こつちのえにしだの枝に抱きついてゐる一尺餘りの長瓢は、丁度窓から見るのにころあひな長短で、かつかうよく宙ぶらになつてゐた。そしてその一つの蔓先は、隣の爺さんの畠へ垣根ごしに侵入し、そこに尻曲りの長瓢が、くびをもたげかげんに二つ。ころりと地上に露出してゐる。そこぎりで蔓先をとめてしまつたので徑のへりに尻をむけたこの靑瓢簞は、時々雨露をいつぱいふりため、靑草を敷いて涼しげに太つてゆくのであつた。幸ひに朝夕潮あびのゆきかへりにこの畠徑をぬける近所の子供らにももがれず、此の頃はむしろに敷きかへて先づ健在。
それに引かへ、垣根の方の長瓢は敷わらも吊もかけなかつたので、地面につけた尻の先がすこし黒いしみになりかけて來た。二三目前の朝、露つぽい草の間にかゞんで私は瓢を吊したり、わらをしいたりしてやつたが、今朝行つて見ると、折角きれいに抱きついた靑い葉は、むざんにうらがへしに亂れ、瓢は誰かに頗るぐわんこに荒繩でうごきのとれぬ樣しばりあげられてゐた。そして鄰畠の南瓜の蔓が勢よく幾筋も瓢垣ねのあほひからこちらへ侵入してゐた。
旭はすでにポプラ並木を透して光り、征矢の如く輝き出し、大向日葵の濃蕊の霧がきらめく。市街の空は煤煙でにごりそめ、海上の汽笛にあはせて、所々の工場の笛がなりつゞける。私は更らに愛すべき千成瓢簞の垣へと歩を移し、きまりの樣にかがみこんで眺め入る。
蔓毎にたれ下つた小瓢簞の愛らしさ。くゝり深く丸々と小肥りの靑い瓢はうぶ毛が柔らかくはえてゐる。小さい蟻が這つてゐたり、時には曉雨の名殘の小つぶな玉が汗をかいたやうにたまつてゐたりして一層愛着をまさしめる。子供らも毎日こゝへ必らずしやがみにきては、二十五なつてゐるとか、葉のかげにもう三つなつてたとか、數へてはたのしみにしてゐた。
更らにその横手の樹に、やせこけた一本の蔓が中位の瓢をつけてはひのぼつてゐた。澤山の瓢の中これが一番形も面白く俗ぬけがしてゐて、しかもひねくれすぎず、私の一番好きな瓢なのであるが、肥が足らぬのか木かげのせゐか一向ずばずばと成長せず、ほんとの一瓢きりなのである。
最後にもう一本。之れは子供のつくつてゐるので、二尺たらずのかはいゝ棚に小まゆ程のが、二つ三つ漸く最近になりはじめた。
此の夏や瓢作りに餘念なく
靑々と地を這ふ蔓や花瓢
晩凉やうぶ毛はえたる長瓢
數年前俳句をつくりはじめた頃、板櫃河畔の假寓でも大瓢簞をつくつたが、その美事な青瓢は軒に吊るす中作りかたを知らず腐らしてしまつた。
くくりゆるくて瓢正しき形かな
梯子かけて瓢のたすきいそぎけり
今年はどうかして一つでも實が入つて、ほんとの瓢簞を得たいものである。(八月十日雨の草庵にて)
(「天の川」昭和二年九月)
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・「いかにもごまな」の「ごまな」は不詳。底本にも右にママ注記がある。
・「板櫃河畔の假寓」大正三(一九一四)年から大正七年八月に小倉市堺町に移るまで住んでいた、小倉市外の福岡県企救(きく)郡板櫃(いたびつ)村字日明(ひあかり)の家。長女晶子氏の年譜によれば、『郊外の板櫃川河口に面し、極楽寺橋より五〇メートルぐらいの場所。海鳴りも聞こえ、朝夕の潮の干満が家の石段まで及んだ』とある。北家登巳氏のサイト「北九州あれこれ」の「板櫃川河口 小倉北区」に詳細な解説や地図とともに、まさにその頃、久女が住んでいた家が写真で紹介されている。
この実に巧みのない美しい文章がそのまま、前に掲げた瓢簞の句群の優れた評釈、自然な映像化を誘って余りある。]

