飯田蛇笏 靈芝 昭和二年(三十三句) Ⅰ
昭和二年(三十三句)
聖芭蕉かすみておはす庵の春
戀々とをみなの筆や初日記
人の着て魂なごみたる春着かな
織初や磯凪ぎしたる籬内
端山路や曇りて聞ゆ機初
破魔弓や山びこつくる子のたむろ
山水のいよいよ淸し花曇り
[やぶちゃん注:「いよいよ」の後半は底本では踊り字「〱」。なお、「山廬集」では「山マ水の」と「マ」を送っている。]
雨霽れの名殘りひばりや山畠
春蘭や巖苔からぶけしきにて
小枕に假りねのさむき御祭風(ごさい)かな
[やぶちゃん注:「御祭風」ごさいかぜ。夏の土用半ば頃に一週間ほど連続して吹き続く北東の風のことで、六月十六日と十七日に伊勢の御祭があることに由来するという。]
夕立や水底溯る渓蛙
[やぶちゃん注:「溯る」は「さかる」と訓じていよう。]
苔の香や笠被てむすぶ岩淸水
[やぶちゃん注:「山廬集」では「笠着て」とする。]
鍼按の眼のみひらけぬ浴衣かな
[やぶちゃん注:「鍼按」は「はりあん」と読むか。鍼灸按摩。]
たちよれば笞を舐ぶる汗馬かな
[やぶちゃん注:「笞」は「しもと」と訓じていよう。]
殪(お)つさまにひかりもぞする螢かな
[やぶちゃん注:「殪つ」は通常は「たふる」と訓じ、「倒ふる」「斃ふる」で、転ぶ、病んで臥すから、死ぬの意までも含む。]
花闌けてつゆふりこぼす牡丹かな
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「闌けて」は「たけて」と読む。]
秋の鷹古巣に歸る尾ノ上かな
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「尾ノ上」は「をのへ(おのえ)」で「峰(を)の上(うへ)」の意で山の高い所・山の頂きの意。]
秋口の庭池の扉や月の雨
[やぶちゃん注:「扉」は「とぼそ」と読んでいるか。]
盆過ぎやむし返す日の俄か客
秋の日 秋の日の時刻ををしむ厠かな
月影や榛の實の枯れて後
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「榛」は「はしばみ」で、ブナ目カバノキ科ハシバミ属
Corylus 種変種ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii。]
秋雨や田上のすゝき二穗三穗
仲秋某日下僕が老母の終焉に逢ふ、
風蕭々と柴垣を吹き、古屛風のか
げに二女袖をしぼる。二句
死骸(なきがら)や秋風かよふ鼻の穴
手をかゞむ白裝束や秋の幮
桔梗や又雨かへす峠口
吹き降りの籠の芒や女郎蜘蛛
山柿や五六顆おもき枝の先
« 篠原鳳作句集 昭和八(一九三三)年四月 | トップページ | 飯田蛇笏 靈芝 昭和二年(三十三句) Ⅱ たましひのたとへば秋のほたるかな »