飯田蛇笏 靈芝 昭和七年(七十二句) Ⅲ
さみだれて苔蒸すほどの樒かな
[やぶちゃん注:「樒」仏前に供えられるシキミ目シキミ科シキミ Illicium anisatum。「櫁」とも書く。ウィキの「シキミ」によれば、『地方によりシキビ、ハナノキ(カエデ科にも別にハナノキがある)、ハナシバなどともいう。学名にはリンネが命名したIllicium anisatum L.と、シーボルトが命名したI. religiosum Sieb. et Zucc.(“religiosum”は「宗教的な」という意味)が存在するが、リンネのものが有効となっている』。『シキミの語源は、四季とおして美しいことから「しきみ しきび」となったと言う説、また実の形から「敷き実」、あるいは有毒』(全草有毒。特に種子にアニサチンなどの有毒物質を含み、多量に含む果実食べた場合は死に至る危険性もある)『なので「悪しき実」からともいわれる。日本特有の香木とされるが、『真俗仏事論』2には供物儀を引いて、「樒の実はもと天竺より来れり。本邦へは鑑真和上の請来なり。その形天竺無熱池の青蓮華に似たり、故に之を取りて仏に供す」とあり、一説に鑑真がもたらしたとも言われる』とあり、更に『シキミ(樒)は俗にハナノキ・ハナシバ・コウシバ・仏前草という。弘法大師が青蓮華の代用として密教の修法に使った。青蓮花は天竺の無熱池にあるとされ、その花に似ているので仏前の供養用に使われた。なにより年中継続して美しく、手に入れやすいので我が国では俗古来よりこの枝葉を仏前墓前に供えている。密教では葉を青蓮華の形にして六器に盛り、護摩の時は房花に用い、柄香呂としても用いる。葬儀には枕花として一本だけ供え、末期の水を供ずる時は一葉だけ使う。納棺に葉などを敷き臭気を消すために用いる。茎、葉、果実は共に一種の香気があり、我が国特有の香木として自生する樒を用いている。葉を乾燥させ粉末にして末香・線香・丸香としても使用する。樒の香気は豹狼等はこれを忌むので墓前に挿して獣が墓を暴くのを防ぐらしい。樒には毒気があるがその香気で悪しきを浄める力があるとする。インド・中国などには近縁種の唐樒(トウシキミ)があり実は薬とし請来されているが日本では自生していない。樒は唐樒の代用とも聞く。樒は密の字を用いるのは密教の修法・供養に特に用いられることに由来する』とある。]
花鉢を屋形も吊りて薄暮かな
麥秋の紫蘇べらべらと唐箕さき
[やぶちゃん注:「唐箕」は「たうみ(とうみ)」と読み、穀粒を選別するための農具。箱形の胴に装着した羽根車で風を起こして秕(しいな:うまく実らずに殻ばかりで中身のない籾のこと。)・籾殻・塵などを吹き飛ばし、穀粒を下に残す装置のこと。]
星合の薰するやこゝろあて
[やぶちゃん注:「星合」七夕。「薰するや」は「ふすべするや」と読んでいるか。七夕飾りは終えた後に灰が天へ上って願い事が叶うよう(「こゝろあて」)にと、お焚き上げなどと称して燃やす(習合した日本古来の魂祭りから考えると、川や海に流すものが古形であったと私は思う)。]
石枕夜闌の水にうつりけり
[やぶちゃん注:「石枕」夏に用いる陶製の枕。陶枕(とうちん)。「夜闌」は「やらん」で真夜中の意。]
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