中島敦 南洋日記 一月二十二日
一月二十二日(木) ウリマン
午前中公學校參觀。晝食は校長の所。但し Ngïll なる女より、卵と島民食屆けあり。食後、海岸。四時頃より土方氏に連れられ、アカラップなるシロウサンの許に御馳走になりに行く。芋田の間の石疊道。ウリマンの新アバイ。ガボクド部落。アバイ二つ。舊アバイの裝飾は蝙蝠模樣。途中教員補池谷さんイケヤサンの所にて、椰子水をのみ休憩。六時近くシロウの所につく。前庭の石疊に一老爺草をむしり、幼兒二人遊ぶ。一人の兒の腹無闇に大。びんろうじゆ數本矗として立つ。シロウは釣に出かけたりとて女房のウマイ、室の一方に竹床の上に疊を敷き蓆をのべて、もてなす。やがてシロウ魚數尾と網を手に歸り來る。體格の見事なる、好もしき青年なり。ウマイも、氣持良き女なり。土方氏の曾て連歩きし大工杉浦某の妻たりしといふ老婆(?)Treiked 馳走を運び來り、食事はじまる。先づ我々二人喰ひ、その殘りを各人に分つが禮なりと。クカオ。サツマ芋。バナナ。魚の鹽煮スープ。タピオカ。カンコンを椰子乳にてドロドロに煮たるスープ( )。最後のもの最もうまし。腹一杯喰ふ。炊事場(ウム)に燃ゆる火。それに照らされし若き夫婦。漸く立ち始めし女の子。先程の老爺。公學校一年の女兒二人。もう一組の夫婦(これの夫は、かの爺さんの實子にて、シロウは亡き婆さんの連れ子なりと)。男兒二人。赤ん坊。やがて來客二人。女の子と男の子と竹床に胡坐をかいて差向ひ、一皿のタピオカと一丼の煮魚を食ふ樣面白し。喰終れば各自水をのみ、その食器を洗ふ。竹の床(ゆか)なれば、水は其の場に棄つるなり。シロウが喰ふ時も、ちやんと我々の方を向き、之から戴きますと挨拶す。ルバック等に對する禮なりと。ウマイは老爺のために、タピオカを叩いて柔くしつゝありしも、老爺は何故か、しきりに急いで村へ行つてくるとて出掛ける。ランプの搖るゝ光の下の、この家の有樣は頗る和やかなり。食事終れば男の子はゴロリと横になつて眠り、女の兒は讀本を出し、欠伸をしつゝ、たどたどしく一字々々讀む。さきに料理を作り來りし
Treiked は、魚と罐詰とを貰つて家で食事をするとて歸る。我々も九八時半頃辭す。月も大分明るけれど、尚、懷中電燈の援を借りつゝ山路を下り、Ngean の郁子林中を通つて歸る。
[やぶちゃん注:ドキュメンタリーのパラオ紀行の映像を見るように、光景が実にリアルに蘇ってくる素晴らしい描写である。
「池谷さんイケヤサン」この削除は恐らく本当に「池谷」と漢字表記するかどうか不確かだったからであったからなのではなく、彼がもしかすると日本人ではなく、現地人であったからではなかろうか? ここのように頻りに片仮名表記の人名が出るうちには、明らかに創氏改名よろしく純粋な現地の人々が日本名を名乗っているシーンが今までも頻出するからである。
「クカオ」カカオのことであろう。
「スープ( )」の空欄はママ。後で現地音を表記しようとしたが、忘れたものと思われる。]
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