日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十一章 六ケ月後の東京 27 植物学を教育する絵と額 / 飾り附き楊枝入れ / 車窓から / 丁髷あれこれ / 丁髷刃傷
図326は、植物学を教える、巧妙な方法を示している。板はその上に描いた花を咲かせる木の材であり、額縁はその樹皮でつくり、その四隅は枝の横断面で出来ている。
[やぶちゃん注:これは何だろう? サツキかツツジの花のように見えるが、額縁や板は相応の樹高と太さがないとおかしい感じがするからウツギ辺りか?]
今日高嶺夫人が、ジョンの遊び仲間である、小さな日本の子供達をつれて来られた。彼女は縮緬でつくつた、針差みたいな小さな品を三つ持って来た。これ等は、背部に、木製の小楊枝を入れる袋をそなえている。図327はその二個である。
[やぶちゃん注:飾り附きの楊枝入れである。]
先日、横浜から来る途中、私は汽車の窓から、滑稽な光景を見た。それは把(まぐわ)をつけた馬が一匹、気違いのように逃げて行くのを、農夫が止めようとしているのであった。今や田には水が満ちているので、把がはね上っては、泥と水とを農夫にあびせかける有様は、実に抱腹絶倒であった。
私は丁髷(ちょんまげ)の珍しい研究と、男の子、並に男の大人の髪を結ぶ、各種の方法の写生図とが出ている本を見た。これには百年も前の古い形や、現在の形が出ている。図328で、私はそれ等の意匠のある物をうつした。これ等の様式のある物は、よく見受けるが、およそ我々が行いつつある頭の刈りよう程、素速く日本人に採用された外国風のものはない。それが如何にも常識的であることが、直ちにこの国民の心を捕えたのである。頭を二日か三日ごとに剃り、その剃った場所へ丁髷を蠟でかため、しつかりと造り上げることが、如何に面倒であるかは、誰しも考えるであろう。夜でも昼でも、それを定位置に置くというのは、確かに重荷であったに違いない。漁夫、農夫、並にその階級の人々、及び老齢の学者や好古者やその他僅かは、依然として丁髷を墨守している。大学の学生は、全部西洋風の髪をしている。彼等の大部分は、頭髪を寝かせたり、何等かの方法でわけたりすることに困難を感じ、中には短く切った頭髪を、四方八方へ放射させたのもある。子供の頃から頭のてっぺんを剃って来たことが、疑もなく、髪を適当に寝かせることを、困難にするのであろう。
[やぶちゃん注:「蠟」髱(たば)を固めた鬢付け油には古くは木蝋と松脂を溶かして練り合わせたものが使用されていたらしい。]
しばらくの間私と一緒に住んでいた一人の学生は、歩くのにびっこを引くので、リューマチスにかかっているのかと聞いて見た。すると彼は、これはある時争闘をして受けた刀傷が、原因していると答えた。私は好奇心が動いたので、ついに思いきって、どこかの戦争で、そんな傷をしたのかとたずねた。彼は微笑を浮べて、次のようなことを語った。初めて外国人を見、整髪法が如何にも簡単であるのに気がつき、そしてこのような髪をしていることが、如何に時間の経済であるかを考えた彼は、ある日丁髷を剃落して級友の前へ現れ、学校中を吃驚させた。一人の学生が特にしつっこく、彼が外国人の真似をしたとて非難した。その結果、お互に刀を抜き、私の友人は片脚に切りつけられたのである。だがその後半年も立たぬ内に、彼を咎めた学生も、外国風の整髪法が唯一の合理的方法であることを理解するに至り、丁髷を落して登校した。
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