橋本多佳子句集「海燕」昭和十五年 裾野
裾野
靑野來し砲車の車輪湖荒るる
車輪の中遠き靑野の山が移る
夏草野砲車の車輪川渡る
砲車ゆく靑愛鷹山(あをあしたか)を野にひくく
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年夏当時、多佳子が避暑していた山中湖の直近、西五キロ圏内に陸軍の北富士演習場があった。現在の北富士演習場は富士山北麓の山梨県富士吉田市・山中湖村・忍野村に跨る演習場で総面積四千五百九十七ヘクタール。この四年前の昭和一一(一九三六)年十一月に旧日本陸軍により開設されていた(参照したウィキの「北富士演習場」によれば、昭和二〇(一九四五)年十月に敗戦により米軍が接収、昭和三三(一九五八)年に日本に返還され、昭和四八(一九七三)年四月に自衛隊管理の演習場に使用転換されている)。
ここに出る「砲車」とは砲架に車輪をつけたものの謂いであろう。
「愛鷹山」は静岡県の富士山南麓にある標高一一八七・五メートルの山。広義には愛鷹山塊・愛鷹連峰の総称として愛鷹山と呼ばれる。愛鷹山塊の最高峰は標高一五〇四・二メートルの越前岳であるが狭義にはこの山の南端にあるピーク、愛鷹山峰のことを指す(以上はウィキの「愛鷹山」に拠る)。「靑」は美称。]