大和本草卷之十四 介類 海蛤
[やぶちゃん注:引き続いて、「大和本草卷之第十四」の「介類」の電子化注釈に入る(私のこれは水族の部に限ったものであるので、「水蟲」と「介類」の間にある「陸蟲」は省略する)。]
大和本草卷之第十四
介類 凡介類甚多シ諸州ノ土地ニヨリテ有無ア
リ異品多シ窮知ヘカラス介類ヲ四ニ分チ記ス蛤類
螺類鱉類蟹類ナリ河海ヲ混記ス
[やぶちゃん注:底本では介類を除いて、頭の「凡」の前と掉尾の「記ス」の後のみ閉区間の枠(囲み線)となっている。]
〇やぶちゃんの書き下し文
[やぶちゃん注:字下げ及び枠を省略した。「混ぜて」部分の判読・訓読は自信がない。]
介類 凡そ、介類甚だ多し。諸州の土地によりて有無あり。異品多し。窮め知るべからず。介類を四つに分ち記す。蛤類〔(がふるい)〕・螺類〔(らるい)〕・鱉類〔(べつるい)〕・蟹類〔(けいるい)〕なり。河海を混ぜて記す。
[やぶちゃん注:「鱉類」の「鱉」は「鼈」の俗字で、ここでは淡水産の亀類(通常の単漢字では鼈(すっぽん)の他、蓑亀・泥亀の類を含む)を指す。実際、「鼈」と「龜」を項立てしているが、何故か「鼈」の解説で海産の亀に言及しながら、ウミガメ類についての記載はない。「河海を混ぜ記す」と言っていながら、不審であるが、益軒は文献以外ではウミガメ類について実見したことがなかったのかも知れない。]
海蛤 凡蛤ノ種類甚多シ不可擧記スベテ海蛤ト云淡
菜蚶西施舌蚌馬刀貝子朗光蛤蜊蜆海月海扇
潮吹貝白貝大貝石ワリ貝波遊アサリ貝等皆蛤ノ
類ナリ地ニヨリ異品アリ其中ニテ蚫蛤蜊蚶西施舌
文蛤蠣蜆等ハ上品ナリ其餘ハ多ハ下品ナリ伊勢ノ
桑名武州江戸其外處々ノ海ニ多シ〇南越志曰璅
蛣長寸餘大者長二三寸腹中有蟹子如楡莢合
體共生俱爲蛣取食今按ツネノ文蛤ナトニ蟹アルモ
往々アリ蟹アル蛤ハ肉必瘦タリ〇方諸高誘曰陰燧
大蛤也熟摩向月則水生大蛤ノカラヲヨクスリテ煖ナ
ラシメ月盛ナル時ニムカヘテ水ヲトル銅盤ニテウケテトル
水數滴下ルコレヲ方諸ト云水晶ニテ日ニ向ヒ火ヲトルカ
如シ〇勢州山田ノ方五里波多瀨ト云處ノ山ニ生蛤
アリ里人アヤシミテ神ニイハヘリ〇ウツセ貝古哥ニヨメリ
八雲抄ニ身モナキ貝ヲ云今按別ニウツセ貝ト云貝ア
ルニ非ス〇凡海蛤之類諸州方土ニヨリテ異類多シ
難窮知コヽニハ記其所見識如左蛤類ノミニアラス
介類皆然リ
〇やぶちゃんの書き下し文
海蛤 凡そ、蛤〔(がふ)〕の種類、甚だ多し。擧げて記すべからず。すべて海蛤〔(かいがふ)〕と云ふ。淡菜〔(ゐがひ)〕・蚶〔(きさ/あかがひ)〕・西施舌〔(みるくひ)〕・蚌〔(ばう/からすがひ/どぶがひ)〕・馬刀〔(みぞがひ/からすがひ)〕・貝子〔(たからがひ)〕・朗光〔(さるぼ)〕・蛤蜊〔(がふり/はまぐり/しほふき)〕・蜆〔(しじみ)〕・海月・海扇〔(ほたてがひ〕・潮吹貝〔(しほふきがひ)〕・白貝〔(しろがひ)〕・大貝〔(おほがひ)〕・石ワリ貝・波遊・アサリ貝等、皆、蛤の類なり。地により異品あり。其の中にて蚫〔(あはび)〕・蛤蜊・蚶・西施舌・文蛤〔(はまぐり)〕・蠣〔(かき)〕・蜆等は上品なり。其の餘は多くは下品なり。伊勢の桑名・武州江戸其の外、處々の海に多し。「南越志」に曰く、『璅蛣〔(さうきつ)〕、長さ寸餘り、大なる者、長さ二、三寸、腹中、蟹の子有り、楡莢〔(ゆけふ)〕のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱に蛣と爲りて、食を取る。』と。今、按ずるに、つねの文蛤などに蟹あるも往々あり、蟹ある蛤〔(がふ)〕は肉必ず瘦せたり。方諸は、高誘が曰く、『陰燧は大蛤なり。熟摩して月に向へば、則ち水、生ず。』と。大蛤のからをよくすりて、煖〔(あたた)〕かならしめ、月盛りなる時にむかへて、水をとる。銅盤にてうけてとる水、數滴下る。これを方諸と云ふ。水晶にて、日に向ひ火をとるがごとし。勢州山田の方五里、波多瀨(はたせ)と云ふ處の山に生蛤〔(せいがふ)〕あり。里人、あやしみて神にいはへり。うつせ貝、古哥によめり。「八雲抄」に身もなき貝を云ふ。今、按ずるに、別に、うつせ貝と云ふ貝あるに非ず。凡そ、海蛤の類、諸州方土によりて異類多し。窮め知り難く、こゝには其の見識する所を記すこと、左のごとし。蛤類のみにあらず、介類、皆、然り。
[やぶちゃん注:羅列された個別の貝の名の読みは、原則、以下の本文を参考にしつつ、一部は別な本草書の記載から、時には漢字の音と和訓の当て読みを並列させたりして読者がなるべく具体的なものを同定(もしくは同定候補化)しやすいように示した。その結果、益軒の種同定とは微妙に異なるように見えるものも出てきているので注意されたい(例えば「蛤蜊」の「がふり/しほふき」と「潮吹貝」)。但し、「海月」及び「波遊」についてはピンとくる貝類が浮かばないので読みを附さずにおいた(前者は項立てされているが、その内容たるや、益軒先生に失礼乍ら、惨憺たるもので解説の体をなしておらず、こんなんだったら項を立てずに、前にあるまさに違うと同定を否定している「タイラギ」の最後に、割注ででも記しておく方がよかったのではないかと私は真剣に思うのである。――いや――しかし、それが出来ないところが益軒先生の人柄の、素朴さと素直さとの現われなのかも知れないとも思う)。識者の御教授を乞うものである。但し、どうも益軒の記載は「介類」冒頭の注記と同じような弁解をしていて、どうにも「甚だ」くどい割りには、全体に如何にも歯切れが悪い感じがする。少なくとも貝類については、実は益軒先生は今一つ、精緻な分類が苦手であったのかも知れない。それでも以下では四十一品種を数えはする(しかし、種同定から見ると「甚だ」心もとない部分も散見される)。
「蛤」最初に断っておきたいのであるが、一部の本草書の現代語訳に於いて「蚌蛤」に安易に「はまぐり」というルビを振るものを見かけるが、これは極めて不適切である。多くのそれらが規範とするところの李時珍の「本草綱目」にあっては、この「蚌蛤」という語は淡海水産斧足類(二枚貝類)の総称表現として用いられているからである。無論、わざわざ「海蛤(かいがふ)」と益軒が記すのもそれに拠るのである。ここでも私は、明らかに「はまぐり」の意であると同定出来る箇所以外では、二枚貝の意として「蛤」を音の「がふ(ごう)」で読んでいる(つもりな)ので注意されたい。なお「蚌」については、当該項のところで詳述する(何故なら、この「蚌」という語は一筋繩ではいかないかなり厄介な代物だからである。フライングしたい方は「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「蚌」及び「馬刀」の私の注を御覗きあれ)。
「淡菜〔(ゐがひ)〕」貽貝。斧足綱翼形亜綱イガイ目イガイ科イガイ Mytilus coruscus 。
「蚶〔(きさ/あかがひ)〕」翼形亜綱フネガイ目フネガイ上科フネガイ科アカガイScapharca broughtonii。
「西施舌〔(みるくひ)〕」異歯亜綱バカガイ科オオトリガイ亜科ミルクイTresus keenae。
「蚌〔(ばう/からすがひ/どぶがひ)〕」古異歯亜綱イシガイ目イシガイ科カラスガイGristaria Plicata 及び琵琶湖固有種メンカラスガイCristaria plicata clessini (後の「蚌」の項で益軒は限定地域としてのここを具体的に示しているからここに掲げる必要があるのである)及びそれらと同イシガイ科ドブガイ Anodonta woodiana を含む、イシガイ科 Unionidae の仲間とするに留めておく。次の「馬刀」の注も参照。「蚌」の項で詳述する。
「馬刀〔(みぞがひ/からすがひ)〕」益軒は後の「馬刀」の項で前の蚌に似て別種として項立てしているが、私はこれを前の限定されたカラスガイGristaria Plicata 及び琵琶湖固有種メンカラスガイCristaria plicata clessini に同定したい欲求に実はかられているのであるが(それは私がかつて「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「馬刀」でそう同定しているからなのであるが、どうも益軒と良安の、この「蚌」「馬刀」に対する認識には大いなる違いがあるように思われる。「蚌」の項で検証したい)、ここもやはり前と同じくドブガイ Anodonta woodiana を含む、イシガイ科 Unionidae の仲間とするに留めおくことにする。
「貝子〔(たからがひ)〕」腹足綱直腹足亜綱 Apogastropoda 下綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ下目タカラガイ超科タカラガイ科 Cypraeidae の仲間。こんなところに腹足類を、突如、放り込んでいる益軒先生はタカラガイ類を巻貝と認識していなかった可能性が疑われる。
「朗光〔(さるぼ)〕」アカガイを小振りにしたような斧足(二枚貝)綱翼形亜綱フネガイ目フネガイ上科フネガイ科サルボウ(猿頰)Scapharca kagoshimensis のこと。
「蛤蜊〔(がふり/はまぐり/しほふき)〕」この「蛤蜊」という漢語は現在の台湾で異歯亜綱マルスダレガイ科ハマグリ亜科ハマグリ属
Meretrix の仲間を指す(中華人民共和国ではハマグリは後に出る「文蛤」が一般的であるらしい)。しかし私は「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「蛤蜊」に従って異歯亜綱バカガイ科バカガイ属シオフキガイ Mactra veneriformis を添えておいた。そもそも益軒の後の「蛤蜊」の項は「臨海土物志」(三国時代の沈瑩(しんえい)の「臨海水土異物志」であろう)の引用から始めて、後の方の叙述になると、殻が薄く、白色で大きい「蛤」があるが美味くない、と明らかに違った種について記述しているように私には思われる。さればこれをハマグリ属Meretrix に限定するわけにはいかないのである。
「蜆〔(しじみ)〕」異歯亜綱マルスダレガイ目シジミ上科シジミ科 Cyrenidae のシジミの仲間。
「海月」後掲する「海月」の項ではタイラギじゃないしミズクラゲでもない、「万葉集」に詠まれた「恋忘れ貝」ともいうが、不審として匙を投げている。この同定は当該項で考証してみたい。
「海扇〔(ほたてがひ〕」翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科 Mizuhopecten 属ホタテガイ Mizuhopecten yessoensis 及びイタヤガイPectinidae の仲間。
「潮吹貝〔(しほふきがひ)〕」前掲のシオフキガイ Mactra veneriformis か同バカガイ科の仲間のうち、あまり美味くない(と後のの項で述べている)種。
「白貝〔(しろがひ)〕」マルスダレガイ目ニッコウガイ科サラガイ Megangulus venulosa か。同種は別名シロガイ(白貝)ともいう。
「大貝〔(おほがひ)〕」これはただの直感に過ぎないのだが、知多や渥美半島で大浅蜊(オオアサリ)と呼んでいるマルスダレガイ目マルスダレガイ科ウチムラサキ Saxidomus purpurata か?
「石ワリ貝」後文では明らかに食用のために採取しているところからは翼形亜綱イガイ目イガイ科イシマテ Lithophaga curta であろう。
「波遊」マルスダレガイ科フキアゲアサリ属オキアサリ Gomphina semicancellata 。「淺利貝」の項で考証する。
「アサリ貝」マルスダレガイ科アサリ亜科アサリ Ruditapes philippinarum 及び同アサリ属の仲間。
「蚫〔(あはび)〕」腹足綱原始腹足目ミミガイ科アワビ属 Haliotis の仲間。「上品」高級種というので騙されるが、ここでも突然、腹足類の本種が出る。宝貝に続いてここでも益軒先生は磯のアワビの片思いと認識されておられたらしい。
「文蛤〔(はまぐり)〕」これはもうハマグリ属 Meretrix の仲間と述べてよかろう。
「蠣〔(かき)〕」翼形亜綱ウグイスガイ目イタボガキ科 Ostreidae のカキ(牡蠣)の仲間。
「伊勢の桑名・武州江戸其の外、處々の海に多し」ここでは急に限定された正真正銘のハマグリ Meretrix lusoria の記載となっている。
「南越志」晋代の作とされる沈懐遠撰になる南越(広東・広西・ベトナム北部域)の地誌。
「璅蛣〔(さうきつ)〕」「廣漢和辞典」の「蛣」の項に、蛸蛣(ソウキツ)・璅蛣(ソウキツは「蟹奴(カイド)」ともいい、腹の中に蟹の子を宿して共同生活をする一種の虫とある。そこで……「璅蛣」の日本語で検索をかけたら……あらまぁ……僕のテクストやがな、この「生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(5)」は……。まあ、ええわ。ともかくも、この「蟹奴」から連想するのは確かに最早、リンク先で私が注している甲殻亜門軟甲(エビ)綱真軟甲亜綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目原始短尾群 Thoracotremata(トラコトレマータ)亜群カクレガニ上科カクレガニ科 Pinnotheridae に属するカニ類しかあるまい。同科の種の殆んどは貝類等の他の動物との共生性若しくは寄生性を持つ。甲羅は円形乃至は横長の楕円形を呈し、額は狭く、眼は著しく小さい。多くの種は体躯の石灰化が不十分で柔らかい。本邦には四亜科一四属三〇種が知られる。二枚貝類の外套腔やナマコ類の総排出腔に棲みついて寄生的な生活をする種が多く、別名「ヤドリガニ」とも呼称する。一部の種では通常は海底で自由生活をし、必要に応じてゴカイ類やギボシムシなどの棲管に出入りするものもいる。基準種カクレガニ亜科オオシロピンノ Pinnothres sinensis などの属名 Pinnotheres から「ピンノ」とも呼ぶ。宿主の体を食べることはないが、有意に宿主の外套腔や体腔等の個体の内空間域を占拠するため、宿主の発育は阻害されると考えられ、この点から私は寄生と呼ぶべきであると思っている(以上の記載は主に保育社平成七(一九九五)年刊「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅱ]」及び平凡社「世界大百科事典」の記載を参考にし、以下の種記載は主に前者に拠る)。
「長さ寸餘り、大なる者、長さ二、三寸」長さ約三センチメートル、大きなものは六~九センチメートル強。
「腹中、蟹の子有り。楡莢〔(ゆけふ)〕のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱に蛣と爲りて、食を取る」「楡莢」はバラ目ニレ科ニレ属Ulmus の実を包む羽のような形の莢(さや)のことを指す(なお、これは食用になる)。――さて、ところが実は、私はこの叙述を読みながらふと、これはカクレガニなんかではなく、カニ類に寄生する顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚下綱根頭上目Rhizocephala のケントロゴン目 Kentrogonida 及びアケントロゴン目 Akentrogonida に属する他の甲殻類に寄生する寄生性甲殻類であるフクロムシ類のことを言っているのではなかろうかと感じたことをここで述べておきたい。それを説明し出すと、これまた、注がエンドレスになりそうなので、これについては、フクロムシを注した私の電子テクストである「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 二 消化器の退化」をリンクするに留めおくが、私は実は、何かまさしくモゾモゾゾクゾクするぐらい探りたい好奇心を禁じ得ないでいることは最後にどうしても述べておきたいのである。
「つねの文蛤などに蟹あるも往々あり、蟹ある蛤〔(がふ)〕は肉必ず瘦せたり」上記カクレガニ(ピンノ)類は宿主の体を食べることはないが、宿主の外套腔や体腔等の個体の内空間域を占拠するため(特に私がアサリで実見したある個体は吃驚するほど巨大で、その宿主のアサリは有意に軟体部が小さかったことをよく覚えている)、私は「必ず瘦せ」ているとは思わないものの、宿主の発育は相応に阻害され得ると考えており、この点から私は彼らは寄生と呼ぶべきであると考えていることを申し添えておく(これには反論される研究者もあるとは思われる)。
「方諸は、高誘が曰く、『陰燧は大蛤なり。熟摩して月に向へば、則ち水、生ず。』と。大蛤のからをよくすりて、煖〔(あたた)〕かならしめ、月盛りなる時にむかへて、水をとる。銅盤にてうけてとる水、數滴下る。これを方諸と云ふ。水晶にて、日に向ひ火をとるがごとし」これは「淮南子巻三 天文訓」にある『方諸見月則津而爲水』という部分についての漢の学者高誘の注で、『方諸、陰燧大蛤也。熟摩令熱、月盛時以向月、下則水生。以銅盤受之、下水敷滴。先師説然也。』とあるのに基づくのだが、この部分、私には実はあまりよく分からない。ただ、中文サイト「百度百科」の「方諸」を何となく見ていると、朧げながら見えてくるものがあった。確か漢の武帝は高い銅柱の上に承露盤とう装置を配して、そこに溜まった夜露を不老長寿の薬として飲んでいたというのを大学の漢文学の講義で聴いた記憶がある。どうもいろいろ調べると、それは夜露として認識されていたのではなくて、「月の水」であったと考えられる。なるほど、月の光が液体化したもの(それがこの「陰遂」というものの正体であるらしい)なら、これはもう、頗る霊薬となろう(その対語が太陽から得られる「火」が「陽遂」で、それが「水晶にて、日に向ひ火をと」って発生させたものであるということか。強烈な二元論である中国哲学にして、目から鱗ではないか!)。そこで用いられたのが、大きな「蛤」(ここはやはり二枚貝でハマグリとは思われないが)の粉末で、そこに「月の雫」が吸収されて不老不死の霊薬として完成される――ということか? 中国語の読めない私の勝手な類推ではある。大方の識者の御批判を俟つものではある。
「勢州山田の方五里、波多瀨(はたせ)と云ふ處の山に生蛤〔(せいがふ)〕あり。里人、あやしみて神にいはへり」「勢州山田」現在の三重県伊勢市伊勢神宮外宮の門前町を指す(古くは「ようだ」「やうだ」などと読んだ)。「方五里」は「起点から五里」(約一九・六キロメートル)の謂いであろう。「波多瀨」は現在の三重県多気郡多気町波多瀬であるから現在の伊勢市の東の端に流れる宮川辺りから直線で計測すると一九キロメートル強あるから、よく一致する。但し、ここに記されたような、生きた「蛤」(二枚貝ととっておく)が山中から見出されて、それが神として祀られたという話を見出すことは出来なかった。識者の御教授を乞うものである。
「うつせ貝、古哥によめり」「うつせ貝」は「空貝」「虚貝」で、岸辺に打ち寄せられた空(から)になった貝殻。和歌では「実なし」「むなし」「あはず」や同音の反復で「うつし心」などを導く序詞としても用いられ、「万葉集」の巻第十一の二七九七番歌(詠み人知らず)に、
住吉(すみのえ)の浜に寄るとふうつせ貝實(み)なき言も以(も)ち我れ戀ひめやも
と出る。一部の語釈ではこれを巻貝に同定している。
「八雲抄」順徳天皇が著わした鎌倉前期の歌論書「八雲御抄(やくもみしょう)」。六部六巻。承久の乱(一二二一年)頃に原形が成った草稿本と加筆訂正して藤原定家に書き送られた精撰本との二種がある。歌の種類や制約を論じた「正義部」、歌合や撰集の先例についての「作法部」、歌に詠むべき詞について述べた「枝葉部」、歌や詞の解釈に関わる「言語部」と歌論に相当する「用意部」などについて述べる。幽玄を賞揚している点や従来の歌学書を集大成した点に特長があり、後世の歌学にも大きな影響を与えた(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠る)。
「方土」地方。]
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