蠅 山之口貘
蠅
ぼくらのことをこの土地では
疎開 疎開で呼び棄てるのだ
炭屋にいるのが
すみや疎開
卵屋にいるのが
たまごや疎開
前の家のがまえの疎開
裏の家のがうらの疎開
ぼくの一家もまたうちそろって
安田家の背中にすがっているものだから
やすだ疎開と呼び棄てるのだ
いずれはみんなこの土地を
追っぱらわれたり飛び立ったりの
下駄ばき靴ばきの
蠅なのだ
ぼくらはこの手を摺り摺りするが
天にむかって
気を揉み合っているのだ
[やぶちゃん注:【2014年7月21日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプを発見、本文を訂正、さらに注を一部改稿した。】題名の「蠅」及び詩中の「蠅」は底本の用字。初出は昭和二二(一九四七)年七月二十一日附『朝日新聞』で掲載時の標題は「農村風景 蠅」。昭和二三(一九四八)年八月号『芸術』に再録された(前掲「きゃべつ」注参照のこと)。既注の通り、バクさんは昭和一九(一九三四)年に茨城県結城の妻静江さん(旧姓は安田)の実家に本人も一緒に疎開し、戦後の昭和二三(一九四八)年七月までそこに暮らした。但し、その間、バクさんは生れて始めての、そしてただ一度の社会的な意味での定職であった東京府職業安定所に勤務しており、茨城から四時間近くかけて汽車通勤をしていた。まさにそのアップ・トゥ・デイトな一篇である。バクさんは推敲に恐ろしく時間をかけるために実際に発表された当時は回想吟のように読めるものが多いが、これはまさしく真正の嘱目吟と言える。
*
農村風景 蠅
ぼくらのことをこの土地では
疎開 疎開で呼び棄てるのだ
炭屋にいるのが
すみや疎開
卵屋にいるのが
たまごや疎開
前の家のがまえの疎開
裏の家のがうらの疎開
ぼくの一家もまたうちそろつて
安田家の背中にすがつているものだから
やすだ疎開と呼び棄てるのだ
いずれはみんなこの土地を
追つぱらわれたり飛び立つたりの
下駄ばき靴ばきの
蠅なのだ
ぼくらはこの手を摺り摺りするが
天にむかつて
氣を揉み合つているのだ
*]
« きゃべつ 山之口貘 | トップページ | 闇とマル公 山之口貘 [やぶちゃん注:「マル公」は底本では「公」の「〇」の囲み字。] »