篠原鳳作句集 昭和一〇(一九三五)年三月
一碧の空に横たふ日南ぼこ
[やぶちゃん注:先行する「雪あかり昏れゆくピヤノ彈き澄める」の句の私の注を参照されたい。]
空とネオンと
いぶせき陽落つとネオンはなかぞらに
[やぶちゃん注:以下、同前書の連作(『俳句研究』では中に小項目の前書「十字路」があるため二字下げとした)であるが、発表された二雑誌、三月発行の『天の川』及び同三月発行の『俳句研究』で掲載句や句形に異同がある。これは『俳句研究』のみに載る。]
凍て空にネオンの塔は畫きやまず
凍て空にネオンの塔は畫(か)きやまず
[やぶちゃん注:前者は三月発行の『天の川』の、後者は同三月発行の『俳句研究』の句。]
凍て空にネオンの蛇のつるつると
[やぶちゃん注:『俳句研究』のみに載る。]
凩の空にネオンのはびこれる
凩の空へネオンのはびこれる
[やぶちゃん注:前者は三月発行の『天の川』の、後者は同三月発行の『俳句研究』の句。]
凍て空のネオンまはれば人波も
[やぶちゃん注:『俳句研究』のみに載る。]
はてしなき闇がネオンにみぞるるよ
[やぶちゃん注:両誌に載る。]
晝深きネオンの骸(から)にしぐれゐる
[やぶちゃん注:両誌に載る。]
十字路
警笛に頭光(ライト)に氷雨降りまどふ
[やぶちゃん注:『俳句研究』のみに載る。]
冬木さへネオンの色に立ち並び
[やぶちゃん注:『俳句研究』のみに載る。以上、十二句は三月の発表句。なお、年譜によれば、『この頃、「成長の家」を愛読するようになり、その神想観を正座によって修行しはじめている』とある。ウィキの「成長の家」によれば、『谷口雅春により創設された新興宗教団体』で、『その信仰は、神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え、心理学・哲学などを融合させ』たもので『全宗教の真理は一つと捉えている』という。政治的には『宗教右派色の強い組織』である。『創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、紡績会社勤務のときから1918年(大正7年)に大本の専従活動家になり、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任した。同時期に大本の本部で活動していた江守輝子と出会い、1920年(大正9年)11月22日に結婚』、『1922年(大正11年)の第一次大本事件を機に、大本から離脱した浅野和三郎と行動を共にし、翌1923年(大正12年)には浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』に加わった』。『雅春は、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニー勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園の西田天香らとも接触した。特に当時流行していたニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した』。『1929年(昭和4年)12月13日深夜、瞑想中に「今起て!」と神から啓示を受けたことを機に、1930年(昭和5年)3月1日に修身書として雑誌『生長の家』1000部を自費出版した(生長の家ではこの日を以て「立教記念日」としている)』。『「人間・神の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」のニューソート流主張により、支持者・講読者を拡大。
『生長の家』誌で発表した雅春の論文は1932年(昭和7年)に『生命の實相』としてまとめられ、1935年(昭和10年)には購読者を組織して「教化団体生長の家」を創設する。各地に支部を設立し、また学校などでも生長の家の講演会が開かれるなど教勢を拡大した』とある。]