中島敦 南洋日記 一月二十八日
一月二十八日(水) 林業試驗所
午前中、舊ガスパン部落。南拓農場より約三十分餘の行程。石疊傳ひの丘の上にあり。アバイめきたる家一軒。舊村長家にして、部落全部が新ガスパンに移りたる後も、獨り此庭に殘りたるなり。今や、此の地に新道路開け、却つて新ガスパンよりも良くなりたれば、近來、新ガスパンより戻る者も多少ある由。家の前の石の墓地。ホセイケツとかいふ裸木の赤き花。家の中にてはコプラを創りつゝあり。びつこをひきつゝ歸り來りし老主人。腹の出た少年。ひよこ。椰子水。此の家を出て、尚二軒ばかりの家を見る。人面石。洗身場、椰子の半割を喰ふ小童。小川香料、國際無線を經て歸る。晝、南拓の理事、經理課長等來。一時過出發。アイライに向ふ。リュックは明日南拓のオートバイに運んで貰ふこととす。廣き道。緩やかな上り。曇りにて涼し。うつぼかづら多し。赭土壁の落書。軍艦の遠望。二時半過、林業試驗所に着く。相澤氏不在。留守の人に所内を案内して貰ふ。鬱蒼たる砂糖椰子。キング椰子。パラゴム。タガヤサン。トバ。クーペ。目下バルサ栽培に力を注ぎつゝありと。バルサの花の手入をするための櫓が所々に組まれあり。バルサの花は夕方より夜にかけて咲くといふ。花の蜜を蝙蝠が來り吸ふのに弱るとのこと。夕方より雨。夜に入つて次第に劇し。九時就寢。舊ガスパンへの途中にて見たる白きソ・ホー・ソホ鳥。二羽の鳩の如し。巣を作らず、大木の枝の上の平らかなる所に卵を産み落し、之をその儘孵かへすに決して落すことなしと。
[やぶちゃん注:「ホセイケツ」この名ではネット検索に掛からない。「裸木」とあり、パラオ産の幾つかの中低木の赤い花を調べてみたが、ピンとくるものがない。識者の御教授を乞う。
「小川香料」現在、東京都中央区日本橋本町に本社をおく香料の開発・販売・製造を行う小川香料株式会社であろう。公式ページ及びウィキの「小川香料」によれば、芳香原料商小川商店として明治二六(一八九三)年創業、業容の拡大と将来の飛躍に備えて株式会社小川香料店を昭和八(一九三三)年に設立したとある。
「國際無線」不詳。現在の株式会社日立国際電気の前身である国際電気通信株式会社のことか?
「うつぼかづら」食虫植物として知られるナデシコ目ウツボカズラ科ウツボカズラ属 Nepenthes の類。野生で約七十種が知られている。詳しくは参照したウィキの「ウツボカヅラ」を。
「砂糖椰子」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科パルミラヤシ属オウギヤシ
Borassus flabellifer の別名。パルミラヤシとも呼ぶ。参照したウィキの「オウギヤシ」によれば、『花序液を煮詰めてヤシ砂糖が作られるほか』、『内果皮内側の胚乳が食用にされ』、また花序液を『発酵させてヤシ酒が作られる。葉は貝多羅葉と呼ばれ、古代から仏教経典の写経の際の紙代わりとして用いられてきた歴史がある。貝多羅葉に書かれた写本を貝葉写本と言う。また、家屋の屋根が作られたり、笠、敷物、カゴ等の工芸品の素材としても用いられる。木の幹も建材や家具材として用いられる』とある。
「キング椰子」ヤシ目ヤシ科ユスラヤシ
Archontophoenix
alexandrae (英名:Alexandra
palm・Alex palm・King palm)。オーストラリア東部クイーンズランド州北部から中部を原産とする。成長が早く、一年で三〇~九〇センチメートルも伸長する。種名は二十世紀初頭に在位したイギリスのアレクサンドラ王妃に因む(Weblio辞書の植物図鑑の「ゆすらやし(ゆすら椰子)」の記載(豊富な画像有り)に拠る)。
「パラゴム」バラ亜綱トウダイグサ目トウダイグサ科パラゴムノキ
Hevea brasiliensis 。幹を傷つけて得られる乳液(ラテックス:latex)は天然ゴムの原料となる。和名及び英名の「パラ」は原産地であるブラジル北部の州(パラ州)に由来する。原産地はアマゾン川流域で、もともとはアマゾン川流域にのみ植生していた種であったが、一八三九年の加硫(かりゅう)法(生ゴムなどのゴム系原材料を加工する際に硫黄などを加えて弾性や強度を飛躍的に向上させる方法)の発見によってゴム需要が増加したために広く栽培が行われるようになった。『現在では東南アジアの熱帯地域を中心にプランテーションでの大規模栽培が行われている』と参照したウィキの「パラゴムノキ」にある。
「タガヤサン」東南アジア原産の広葉樹マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科センナ属タガヤサン
Senna siamea 。唐木の一つで代表的な銘木。参照したウィキの「タガヤサン」によれば、『荒地にも耐え、比較的造林が容易な為、アジアに広く栽培されている。明治時代には台湾でも栽培された。ただし、これらは木材としての使用というよりは、小さいうちに伐採され、燃料として使用されることが多い』。『花は鮮黄色の五弁花で芳香がある。美しい花を咲かせるものもあり、熱帯地方では庭木や街路樹としても用いられる』。『木材の重くて硬いさまが、まるで「鉄の刀のようだ」ということから「鉄刀木」の漢字が当てられる。なお、「たがやさん」という名称の由来は定かではない。一説に、フィリピン語の「tambulian」が変化したものとされる』。『家具、仏壇、数珠、建築材(床柱、内装)、ステッキ、木刀、ブラシの柄など、主に装飾的な用途に用いられる。腐りにくいことから、家が長く続くということに掛けて床柱に使用される』とある。
「トバ」植物名らしいが不詳。識者の御教授を乞う。
「クーペ」植物名らしいが不詳。識者の御教授を乞う。
「ソ・ホー・ソホ鳥」二十七日の日記の「飛行機鳥」のこと。同日の私の注を参照されたい。但し、未だに不詳である。]
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