おさがりの思い出 山之口貘
おさがりの思い出
風景にしても
風俗にしても
むかしの沖縄の姿など
いまでは見る影さえもないのだという
ぼくは戦後の
ふるさとの話を
風のたよりにききながら
がじまるの樹など眼にうかべ
でいごの花を眼にうかべ
少年の日に着て歩いた
兄貴のおさがりの
芭蕉布(ばさあぐわあ)のことなど
眼にうかべたりした
[やぶちゃん注:【2014年7月7日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。注を一部追加した。】初出は昭和二七(一九五二)年八月号「装苑」。如何にも投稿誌として相応しいではないか。
「芭蕉布」の「芭蕉」のルビは「ばさぁ」、布は「ぐゎあ」又は「ぐわぁ」又は「ぐゎぁ」とすべきかも知れないが、底本は当時一般的であった拗音なしのルビであるため、確定出来ない。なんとなく沖繩方言の響きの印象からは「ばさぁぐゎあ」という気はする。但し、ネット上を調べても沖繩で現在「芭蕉布」をそのように方言呼称している記載が見当たらない。私の知っているそれは「ばさーじん」というものだが、民謡を調べてみると「布」は「ぬぬ」(母音の口蓋化のセオリー通りである)である。沖繩方言には地域によって著しい方言差があるから、これはどこか特別な地域・地区のものなのかも知れない。沖繩方言にお詳しい方の御教授を乞うものである。
「兄貴」バクさん、本名山口重三郎は三男坊で、十違いの長兄重慶(画家)と五歳違いの次兄重次郎がいたが、長兄は昭和二〇(一九四五)年十一月、栄養失調のために亡くなっている。]