たねあかし 山之口貘
たねあかし
この日 一家を引き連れて
疎開地から東京に移り
練馬の月田家に落ちついた
ミミコはあたりを見廻していたのだが
ふたばんとまったらまたみんなで
いなかのおうちへ
かえるんでしょときくのだ
ぼくはかぶりを横に振ったのだが
疎開当時のぼくはいかにも
鉄兜などをかむってはたびたび
二晩泊りの上京をしたものだ
ミミコはやがて庭の端から戻ったのだが
とうきょのおにわってどこにも
はきだめなんか
ないのかしらと来たのだ
ぼくはあわてて腰をあげてしまい
田舎の庭の一隅をおもい出しながら
おしっこだろうときけばずばり
こっくりと来てすまし顔だ
[やぶちゃん注:【2014年7月12日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプを発見、本文を訂正、さらに注の一部を改稿した。】旧全集では一行目が、
この日一家を引き連れて
となっているが、この詩篇では清書原稿を底本とした思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」では字空けが施されてある。新全集を採る。また同様に旧全集は七行目が、
かえるんでしょうときくのだ
となっているが、新全集では「う」がない。これもミミコさんの言葉らしい新全集を採った。
初出は昭和二六(一九五一)年二月発行の『人間』(神田駿河台の目黒書店発行の雑誌)。
「月田家」再注しておくと底本第四巻の辻淳氏の編になる年譜に、昭和二三(一九四八)年三月に戦前の昭和十四年(静江さんとの婚姻後二年目)から勤めてきた東京府職業安定所の職(生れて始めての、そしてただ一度の社会的な意味での定職であった)を退き、文筆一本の生活に入ったとあり、その四ヶ月後に上京(バクさん一家は昭和十九年に茨城県結城の妻静江さんの実家に本人も一緒に疎開、驚くべきことに東京まで四時間近くかけての汽車通勤を戦後も続けていた)、練馬区貫井(ぬくい)町の月田家に間借りしたとある。
長女泉(ミミコ)さんの名誉のために附言しておくと、転居した当時、ミミコさんは未だ満四歳であった。]