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2014/04/16

篠原鳳作句集 昭和一一(一九三六)年 赤ん坊

  赤ん坊 Ⅰ

 

にぎりしめにぎりしめし掌に何もなき

 

睡りゐるその掌(テ)のちささ吾がめづる

 

赤ん坊を泣かしておくべく靑きたたみ

 

泣きじやくる赤ん坊薊(あざみ)の花になれ

 

赤ん坊の蹠(アウラ)まつかに泣きじやくる

 

  赤ん坊 Ⅱ

 

太陽に襁褓かかげて我が家とす (移轉)

 

[やぶちゃん注:病中にあってしかし我が子の「生」に健康な精神を取り戻し得た鳳作の、「赤ん坊」句群中の白眉である。

 因みに、私はかつてこの句をインスパイアして、

 

 太陽に襁褓翩飜建國記

 

とやらかした(雄山閣出版一九九七年刊「俳句世界 6 パロディーの世紀」に於いて齋藤愼爾選で佳作を頂戴した。句集「鬼火」もよろしければ御笑覧あれ)。]

 

赤ん坊を移しては掃く風の二(フ)タ間(マ)

 

指しやぶる音すきずきと白き蚊帳

 

目覺さめては涼(スズ)風をける足まろし

 

太陽と赤ん坊のものひらりひらり

 

[やぶちゃん注:底本では「赤ん坊 Ⅱ」はただ「Ⅱ」であるが、補った。

 ここまでの「赤ん坊」連作Ⅰ・Ⅱ合わせて十句は七月発行の『天の川』の句で、先の「壁」連作五句を合わせ、全十五句が七月の発表句及びその別稿と思われるものである。]

 

  赤ん坊 Ⅲ

 

赤ん坊にゴム靴にほふ父歸宅

 

かはほりは月夜の襁褓嗅ぎました

 

みどり子のにほひ月よりふと白し

 

[やぶちゃん注:底本では「赤ん坊 Ⅲ」はただ「Ⅲ」であるが、発表誌の号が異なるため(この「Ⅲ」は八月発行の『天の川』で、前書がただ「Ⅲ」だったとはどうしても思われないという理由もある)、「赤ん坊」を補った。前田霧人氏の「鳳作の季節」によれば、『七月、「天の川」の「三元集」第一回作品に、鳳作の連作「赤ん坊」のⅠ、Ⅱ、Ⅲ、計十三句が一挙掲載される。末尾には「六月十四日」と、丁度宇月が鳳作の自宅を訪ねた時の日付が記されている』とある。底本年譜にも『七月 天の川三元集に「赤ん坊」の作品載る』とあるのであるが、だとすると、この「Ⅲ」パートの初出表示は八月発行の『天の川』とすべきではなく、七月発行の『天の川』の中の第一回作品集「三元集」とすべきであると思う。少なくとも「Ⅰ」「Ⅱ」が七月で「Ⅲ」が八月というような見かけ上の分断がそれで避けられたはずであると思うからである。従って、この三句のみが八月の雑誌発表句であように見えるが、事実はそうではなく、現在、同年八月の新規の発表句は存在しないということになる。

 なお、前田霧人氏の「鳳作の季節」によれば、この「赤ん坊」連作に対しては、前『年十二月に辛口の「篠原鳳作論」を書き、その後も厳しい批評を続けた白泉がこの連作を激賞している』として以下に渡辺白泉の二本の評を引用されている。孫引きさせて戴く。

   《引用開始》

 僕は鳳作のこのふかい滋味を羨望してやまない。僕が鳳作論を書いてからまだ一年には大分間があるのに、鳳作の体貌は一変してしまった。ここには大人になり切った鳳作の、さらりとした素顔がある。しかもその素顔のうらにかくされた美への憧憬、詩へのひたむきな態度は、「高翔する詩魂」時代よりは一層熱切であり、一層聡明であり、きれいにアクを落していることを感じて、僕はもはや羨望にいたたまれないのである。(「猟人手帖」「句と評論」昭和十一年八月号)

 赤ん坊のきわまりなく純白な心と、ぐんぐんと展開してゆく強い生命とを見つめた鳳作の心からは、すべての陋(せま)い囚われた雑念が飛散してしまったのに違いない。「甘さ」とか「達者さ」とかいうものは何処の空中へ消えて行ってしまったのであろうか。これら各句の表現を見よ。赤ん坊の手足のごとく、彼等は自由に伸び伸びと生きて動いている。天衣無縫とはまさしく之である。注意すべきは、この明るさは鳳作が「海の旅」時代、いやそれよりももっと前、彼がこの世に生を享けた時から本源的に有していた南国人の明るさであり、それがこの「赤ん坊」にぶちあたって一気に内外の塵あくたを押流して流露したものだということである。(「十一年の鳳作」「帆」昭和十二年一月号)

   《引用終了》

さらに前田氏は妻秀子さんの記した印象的な思い出をも引用されている。私はこの引用元である「篠原鳳作句文集」(前原東作監修昭和四六(一九七一)年九月形象社刊)を所持していないので、これも孫引きさせて戴く。

   《引用開始》

 赤ん坊が生れた時、勤めの帰りにちょこちょこ里に立ち寄って、未だ日も経たない赤ん坊をそおっと膝の上にのせては物珍しそうに見つめ、時に夢うつつに目を閉じて口許だけを動かして笑うような表情をしますと「笑れやった。笑れやった(お笑いになった)」と敬語を使い、まだ自分の子としての実感がわかなかった様です。その赤ん坊への愛撫振りはよく句に出てますが、柔らかい小さな手に触れながら生命の誕生の神秘さに打たれておりました。

   《引用終了》

なお、前田氏はこの後で、鳳作が前年の昭和一〇(一九三五)年十月に入会した『山茶花』の五・六月『山茶花』合評会の席上、自作「赤ん坊を泣かしをくべく靑きたたみ」と「にぎりしめにぎりしめし掌に何もなき」の二句を例に挙げて(ということは実は少なくともこの二句が含まれる「赤ん坊 Ⅰ」は七月ではなく、五月か六月の『山茶花』には既に発表されていたことが分かり、そうすると実は「赤ん坊」句群は「壁」よりも前の作品である可能性も否定出来なくなる)、

   《引用開始》

 前者は感覚的であり、後者は感覚的ではないが具象的であると思う。感覚化は具象化の一面であるが具象化には感覚化以外の面がある。

 近代芸術すべての特長が感覚の新しいと云う所にあるのではないですか。(「山茶花座談会」「山茶花」昭和十一年七月号)

   《引用終了》

と述べており、前田氏は『ここには、感覚を大事にして、しかもそれに溺れない今の鳳作の純真な姿がある』と評されておられる(この座談会の内容は前田氏のそれでないと容易には読むことが出来ないものである)。以下、更にこの「感覚」と「新しさ」の問題について語られてあるのだが、少々孫引きが多くなって申し訳ないこともあり、それらはまた前田霧人氏の「鳳作の季節」の当該箇所(三〇三頁以下)をお読み戴きたい。]

 

  赤ん坊

 

指しやぶる瞳のしづけさに蚊帳垂るる

 

吾子たのし涼風をけり母をけり

 

涼風のまろぶによろしつぶら吾が子

 

涙せで泣きじやくる子は誰の性(さが)

 

[やぶちゃん注:ここまでの四句が九月発行の『傘火』に所載する連作「赤ん坊」であると思われる。筑摩書房「現代日本文学全集 巻九十一 現代俳句集」(昭和四二(一九六七)年刊)の「篠原鳳作集」では(リンク先は私の電子テクスト)、この連作を「赤ん坊 Ⅳ」としているが、これは同編者による勝手な操作であることが分かる。]

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