耳嚢 巻之八 駒井藏主幽魂奇談の事
駒井藏主幽魂奇談の事
日野伊豫守とて暫く高家(かうけ)を勤(つとめ)し人の家來に、領分者(りやうぶんもの)にて駒井藏主(ざうす)といへるあり。江戸表にて貞實に勤けるが、寺なくては難成(なりがたし)とて、いづれにてありけん、菩提所を極め暫く精勤しけるが、元來在所上州に菩提所もありけるゆゑ、若(もし)死なば先祖代々の寺在所へ葬る樣に致度(いたしたく)、江戸勤(づとめ)ゆゑ無據(よんどころなく)江戸に菩提所極めし趣、主人へも申立(まうしたて)、傍輩へも咄しける。夫(それ)はいか樣にも可成(なるべき)事なりとて何氣なく打過(うちすぎ)けるが、近頃風の心ちとて打臥(うちふし)ぬ。病中にも兎角在所の寺へ葬(はふり)候樣致度(いたしたき)段、傍輩親族へもかたりけるが無程(ほどなく)身まかりしゆゑ、親族傍輩彼が願ひの趣、主人へも申聞(まうしきこえ)ければ、一旦菩提所と極し事あれば右寺よりおくり證文なくては在方にても差支(さしつかふ)べし、いかゞあらんと云(いひ)しに、江戸の菩提寺使僧して、彼(かの)送り證文爲持越(もたせこし)候ゆゑ、右は如何せしと問ふに、藏主儀彼(かの)江戸菩提所へ至り、兼て賴置(たのみおき)候おくりの證文を認(したた)め給(たまは)り候やう申(まうす)ゆゑ持參せしと語りしが、藏主が彼(かの)江戸の寺へ至りし日は死せし後の日なる由。意念のしからしむる所、此類(たぐひ)多き事と、日野氏の物語りを認(したため)ぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:怪異譚連関。久々の本格怪談であるが、如何にもしみじみとした話柄である。
・「藏主」は「ざうす(ぞうす)」と読む。ここは通称名と思われるが、蔵主とは元来が禅寺に於いて経蔵を管理する僧職を指す語であり、本話柄の主人公には相応しい名と言えよう。
・「日野伊豫守」日野資栄(すけよし 元和四(一六一八)年~元禄一一(一六九八)年)は高家(次注参照)旗本花房正栄(備中猿掛領初代領主花房正成次男)次男。母は公家日野輝資娘。官位は従四位下侍従伊予守。母方の祖父日野輝資の養子となり、元和九(一六二三)年)に養父の死去によって日野家が徳川家から与えられた近江蒲生郡の領地を本家から分知され、江戸幕府旗本として別流日野家を興した。将軍徳川家光の治世に表高家衆に加えられ、天和三(一六八三)年、高家職に就き、直後に従四位下伊予守に叙任された。貞享二(一六八五)年には常陸新治郡(にいはりぐん:現在の茨城県南部。)内で五百石を加えられて計千五百三十石、貞享三(一六八六)年侍従に任官した。元禄四(一六九一)年、高家を辞職し寄合に列した(以上はウィキの「日野資栄」 による)。「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年であるから、以上の事蹟から執筆時より百年以上前の非常に古い都市伝説である。
・「高家」江戸幕府の職名。伊勢・日光への代参、勅使の接待、朝廷への使い、幕府の儀式・典礼関係などを掌った。足利氏以来の名家である吉良・武田・畠山・織田・六角家などが世襲し、禄高は少なかったものの官位は大名に準じて高かった。前注に出る「表高家」というのは非役の家を指し、高家職に実際に就いている家は奥高家と呼んだ。
・「領分者」領有している領地の出身者。本文には「上州」と出るが、日野資栄の領地は群馬県内にはない。前注に示した常陸新治郡は比較的近い。
■やぶちゃん現代語訳
駒井蔵主(ぞうす)の幽魂奇談の事
日野伊予守資栄(すけよし)殿とて高家を勤められた御仁の、その御家来衆に、領地出の駒井蔵主と申す者があった。
この蔵主、江戸勤めにて篤実にお勤め致いて御座ったが、信仰厚き者にて御座ったれば、
「近くに菩提寺のなくては宜しゅうない。」
とて、江戸の――何処(いずこ)の寺であったか――とある寺を菩提寺と定めて精勤致いて御座った。
然れども、元来が在所上野(こうづけ)に列記とした菩提寺の御座ったれば、
「若し我ら死ぬることあらば、先祖代々の在所が菩提寺へ葬るよう致したく存じまする。江戸勤めゆえ、よんどころのぅ、江戸には菩提所を定めては御座いまするが。」
と御主人へも申し上げ、傍輩の者たちへも常々語って御座った。
資栄殿も、
「その儀ならば如何様にも成せるものじゃ。」
と請け負うておられたものの、そのままにうち過ぎて御座ったところが、それからしばらく致いて、蔵主、
「……何やらん、風邪の心地なれば……」
とて、床に臥せがちと相い成って御座った。
病床にても、とかく、
「……何としても……在所方の寺へ……葬るよう……致したく……」
と、傍輩や見舞いに参った親族の者へも、頻りに懇請致い御座ったが、ほどのぅ、身罷ってしもうたと申す。
されば、親族傍輩は蔵主のたっての遺言なればこそ、在所菩提寺への埋葬の願いを御主人へ申し上げたところが、重臣のお一人が、
「……一旦、かの江戸の寺を菩提所と定めたることなれば、その寺方より改葬を許諾致す旨の証文、これ、なくては、在方の菩提寺にても、はなはだ困るのでは御座いますまいか?……如何で御座いましょう?……」
と申し上げた。
と、その時、表より、
「――〇〇寺より使いの僧の参上致いて御座いまする――」
との知らせのあればこそ、資栄殿、直ぐに庭方へと招き入れ、
「その方、何の用じゃ?」
と誰何(すいか)なされた。すると、
「――こちらの御家来衆、蔵主と申さるる御方の御依頼になられましたる、△△寺宛の送り証文を持参致いて御座いまする。」
と申したによって、資栄殿は、
「……これは……どういうことか?」
と糺された。
すると、使いの僧の曰く、
「……はい。蔵主と申さるる御方が、つい先日のこと、御自身我らが寺へ参られ、
『――かねてより頼みおいて御座った在方菩提寺への改葬の送り証文、これ、早急に認(したた)め下さいまするようお願い申し上げ奉る――』
と申されましたゆえ、取り急ぎ、持参致しました次第……」
と語って御座った。
それを聴いた資栄殿、
『……近日は蔵主、これ、病いがために足腰も立たずなって御座ったれば……』
と不審に思われ、
「……その申し出に参ったは……何時のことじゃ?……」
と訊ねたところが……
――蔵主が
――かの江戸菩提所の寺へと参ったと申す日(ひぃ)は
――これ
――既に蔵主が身罷ったる日(ひぃ)より
――ずっと
――後のことで御座った
と申す……
「……人の強き思いのしからしむるところにて……かくなる類いの話は存外、多御座る……」
と、日野殿御自身、我らにお語りになられたをここに認(したた)めおくことと致す。

