桃の木 山之口貘
桃の木
時間 時間になると
爺さんごはんです
婆さんごはんですとこえがかかり
ふたりの膝元にはそれぞれの
古びた膳が運ばれて来るのだ
膳はいつもとぼけていた
米のごはんの外にも
思想の自由
言論の自由というような
あぷれげえるとかものっかってはいるのだが
なんのかんのと言えばすぐにも
だまって食ってろとやられる仕組みの
配給だけがのっかっているのだ
爺さん婆さんはだまって
その日その日の膳にむかい
どこまで生きるかを試めされているみたいに
配給をこづいてはそれを食うのだ
ある日の朝のことなのだ
膳になるにはまだはやかった
庭には桃の花が咲いていた
爺さんも婆さんも庭へおりると
腰の曲りをのばしたりしていたのだが
天に向って欠伸をした
[やぶちゃん注:【2014年7月14日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、以下に記す驚くべき事実を知った。注を全面改稿した。】これは実は、現在知られるバクさんの詩の中で唯一GHQの検閲によって削除された詩篇であることが思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の松下博文氏の解題によって明らかにされている。それによれば原稿等の諸資料から初出誌として昭和二三(一九四八)年二月号『改造』を揚げたものの、実際の当該号に当たった松下氏はそこにこの詩が掲載されていない事実に直面したものらしい。その後、同氏は Prange Collection(プランゲ文庫:アメリカ合衆国の歴史学者ゴードン・ウィリアム・プランゲが連合国軍占領下の日本で検閲された出版物が収集したコレクション。アメリカ合衆国メリーランド大学の歴史学教授に籍を置きつつ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の参謀第二部(GⅡ)で戦史室長を務めていたゴードン・ウィリアム・プランゲによってGHQにより検閲された資料がメリーランド大学に移送されたもので、当時発禁となった刊行物も多数含まれている。ここはウィキの「プランゲ文庫」に拠った)に当たって遂に当該『改造』二月号の『GHQ「検閲文書 CESORSHIP DOCUMENTS」』があるのを見出し、その『目次ページ中の山之口貘詩『飼ひ殺し』のタイトル部分に「delete(削除)」という、GHQ担当者のサインが入っている』のを見出されたのであった。即ち、本詩の初出は幻であったことが分かると同時に初期形では標題が「桃の木」ではなく「飼ひ殺し」であったことも判明したのであった。解題によれば、その二年後の一九五〇年五月発行の『人間』(目黒書店発行)が実際の初出と思われる。経緯の詳細は新全集を購入されたい。恐らくは向後出る第四巻の資料でもその詳細が明らかにされるものと思われる。
この詩のロケーションは例の戦中からの疎開先であった茨城の妻静江さんの実家かその近隣の家かと思われるが、この詩が何故、GHQの検閲によって削除対象となったのか、今一つ、凡愚な私には分からない。どなたか分かり易くレクチャー願えると、恩幸これに過ぎたるはない。]