篠原鳳作句集 昭和一〇(一九三五)年六月
昇降機吸はれゆきたる坑(あな)にほふ
昇降機吸はれし闇のむらさきに
地の底ゆせりくるロープはてしなく
昇降機うなじの線のこみあへる
昇降機脚にまつはる我が子呂と
[やぶちゃん注:「昇降機うなじの線のこみあへる」までは六月発行の『天の川』掲載句。最後の句は鳳作没後の翌昭和一二年九月の『セルパン』の朝倉南海男(「なみお」と読むか)編「篠原鳳作俳句抄」に載るものである。
この最後の句の「子呂」は「ころ」で、現在も広く作業現場で用いられている運搬用コロ車、ここは鉱夫が自分用の機材その他を運んだりするために用いたコロ車のことではないかと思われる(現在のそれはグーグル画像検索「運搬用コロ車」を参照)。「財団法人 東部石炭懇話会」のサイト内の「常磐炭田を研究の対象としている機関」の中の福島県いわき市内郷白水町広畑にある渡邊為雄氏の個人資料館「みろく沢炭鉱資料館」の紹介頁の「所蔵品目録」の「運搬関連」に『コロ(使い古しと新品)木製』『コロ(木製・鉄製・陶製)』とあって炭鉱で使用されていたことが分かる。
これらの句を読むと、西東三鬼の、かの官憲によってアカの思想的俳句とトンデモ解釈された、
昇降機しづかに雷の夜を昇る
が思い出される(昭和一五(一九四〇)年七月、京大俳句事件で検挙された三鬼に対して京都府警はこの句を『解釈』して、「雷の夜」とは不平不満を叫ぶ奴らの不安を煽る社会をさし、その中を昇降機が昇るというのは共産主義思想が広がることを暗示していると言い掛かりをつけられた(この話、ネタ元の資料を持っているはずなのだが、見当たらないので「大阪日日新聞」公式サイトの三善貞司氏の「なにわ人物伝 -光彩を放つ- 日野 草城(下) ―ひの そうぎ―」の記事を参考にさせて貰った)。
但し、鳳作の名誉のためにはっきりさせておくと、三鬼のあの句は二年後の昭和一二(一九四七)年七月発行の『京大俳句』に発表されたもので、寧ろ、三鬼の方が鳳作のこれらの連作をヒントとして逆回転の如何にも気障でスマートな映像をインスパイアしたと言える。また、三鬼のそれが徹底的に都会的人工的で、エレベーターの機械油の臭ささえ主人公のオー・ド・トワレの香に消されがちな感じの、あくまでお洒落なフランス映画風の(即ち作為的な)雰囲気を出ていないのに対し(個人的には嫌いではないが)、鳳作のこれらの句は、強烈な炭塵と汗にまみれた鋭いリアリズムのモンタージュで、圧倒的な昇降機の重量と鉱夫の肉感が迫る優れた句群であると私は思う。]
海の旅 海を旅ゆくは夜々の我が夢なり
旅ゆくと白き塑像の荷をつくり
白たへの塑像いだき海の旅
鷗愛(は)し海の碧さに身を細り
口笛を吹けども鷗集(よ)らざりき
碧空に鋭聲つづりてゆく鳥よ
[やぶちゃん注:「海の旅」連作。全句が載るのは六月発行の『傘火』、同月発行の『天の川』では冒頭の「旅ゆくと白き塑像の荷をつくり」を除く四句が掲載されてある。「塑像」不詳。これは具体的な実在するそれというよりも、内なる一つの精神的な何ものかのシンボルのように受け取れるように私には思われる。
以上、十句は昭和十年六月の発表句と創作句。]