萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(2)
胸をうつこの引金をひく人を
得んとばかりにわれ戀を戀ふ
夕さればそゞろありきす銃器屋の
前に立ちてはピストルを見る
[やぶちゃん注:原本は「夕ざれば」。校訂本文に従った。朔太郎満二十三歳の時の、『スバル』第二年第一号(明治四三(一九〇二)年一月発行)に掲載されたうちの一首、
夕さればそぞろありきす銃機屋のまへに立ちてはピストルをみる
の表記違いの相同歌。]
いと可笑し蚤とる如き眼して
交互(かたみ)に求む戀のありかを
この心言ふはあさまし然れども
言はねば尚もけだものに似る
あゝえたえず、と思ふときは日記(にき)をくり
死なんと書きて心しづまる
ピストルを持ちて歩けば巡査よび
とがめぬ、これは我を擊つため
「われ死なむ」「あゝ死にたまへいつにても」
かく言ふ故に死なれざりけり
同人數そうぞめかして練り來ると
きゝてはせ見るともらひなりき
[やぶちゃん注:「そうぞ」はママ。「装束」で「さうぞ」が正しいか。校訂本文は「さうぞ」とする。「ともらひ」は「弔ひ」の音変化であるが、上句の「同人數」云々は、誰かが悪戯らに煽ったことを言っているようである。]