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2014/04/07

篠原鳳作句集 昭和一〇(一九三五)年八月



あぢさゐの花より懈(た)ゆくみごもりぬ

 

身ごもりしうれひは唇をあをくせる

 

白粥の香もちかづけず身ごもりし

 

身ごもりしうれひの髮はほそく結ふ

 

   薄暮の曲

あぢさゐの毬より侏儒よ驅けて出よ

 

[やぶちゃん注:この標題には底本では連作を示す「*」記号が頭に附されてあるが、次の句の前に掲示されている標題「芥子と空間」にも「*」記号が附されてある。しかもこの句は八月発行の『天の川』掲載句であるこの前の四句の最後に配されている。ところが次の句は同月発行の『傘火』の句群である。従って、この標題が「薄暮の曲」という連作という意味が不明である。暫く三字下げでこの句の単独の前書ととっておく。]

 

  芥子と空間

 

日輪をこぼるる峰の芥子にあり

 

白芥子の妬心まひるの陽にこごる

 

芥子咲けば碧き空さへ病みぬべし

 

ゆゑしらぬ病熱(ネツ)は芥子よりくると思ふ

 

芥子燃えぬピアノの音のたぎつへに

 

[やぶちゃん注:この四句目の「ゆゑしらぬ病熱(ネツ)」はとりあえず文学的な精神的なナーバスな熱と私はとってきたのだが、もしかするとこれは実際の原因不明の発熱を指しているのではなかろうか? 鳳作の直接の死因は心臓麻痺と記されてあるが、実際には年譜の亡くなる昭和一一(一九三六)年九月十七日の四ヶ月前の五月の項に、『この頃から時々首筋の痛みを訴え鹿児島県姶良郡の妙見温泉で治療したが快方をせず発作的に嘔吐を催すようになった』とあり、私は鳳作は既にこの一年前(この句は昭和十年八月発行の『傘火』に発表されている)から、原因不明の発熱に襲われていたのではなかったろうか? 私はこれらの症状から鳳作の死因は重篤な何らかの脳疾患(頭痛と嘔吐は脳腫瘍の主症状であるが、例えばウィキ細菌性髄膜炎によれば、発熱・嘔吐及び項部の硬直というのは細菌性髄膜炎の病態に特徴的なものであることが分かり、同髄膜炎は二〇〇八年現在でも世界的な死亡率は一〇~三〇%と依然として高い疾患であるとある。但し、この疾患は急激に発症して意識障害に陥ることが多い点では鳳作のケースとはやや異なる感じはする)であった可能性を深く疑っているのである。なお、前田霧人氏の「鳳作の季節」には鳳作の病気について驚くべき意外な記載がある。以下、長くなるが、非常に重要な記載であるから引用させて戴く。冒頭の「五月」とあるのは、没年の昭和一一(一九三六)年のことである(一部の字下げを省略した)

   《引用開始》

 五月、「傘火」に鳳作の連作「壁」五句が掲載される。第四句は朝倉南海男編「篠原鳳作俳句抄」(「セルパン」昭和十二年九月号)に掲載されたものからの引用である。それ以外は「天の川」七月号の「「天の川俳句」に掲載されたものからの引用である。

 

      壁              篠原鳳作

   我が机ひかり憂ふる壁のもと

   夜となれば神秘の眇(すがめ)灯る壁

   くしけづる君が歎きのこもる壁

   古き代の呪文の釘のきしむ壁

   幽(くら)き壁夜々のまぼろし刻むべく

 

 これは「天の川」三月号の「自己加虐」に続く異色作であるが、それより更に異様な雰囲気を持つ。そして、各年譜の「昭和十一年五月」の項に、初めて次のような記述がある。 

 この頃から時々首筋の痛みを訴え鹿児島県姶良(あいら)郡の妙見温泉で治療したが快方をせず発作的に嘔吐を催すようになった。(『全句文集』年譜) 

 温泉治療や嘔吐の症状などはもっと後のことであろうが、連作「壁」の第三句などを見ると、恐らくこの頃秀子夫人は既に鳳作の本当の病名を知っており、二人は嘆きの底にあったのではないかと思われる。鳳作の病気は公には神経痛ということになっている。しかし、幾ら彼が虚弱な体質でも、神経痛で命まで失うというのは、誰もが不思議に思うことである。

 岸本マチ子『海の旅―篠原鳳作遠景』に、鳳作が友人である医者の診察を受ける場面がある。そして、そこにワッセルマン反応など、ある特定の病名を指す医学用語が出て来る。近年は抗生物質の出現により容易に治癒が可能となったが、当時は恐れられた病気である。著者に問い合わせると、秀子夫人から直接に聴取したことで事実であるという。そして、友人たちに誘われてたった一度、沖縄那覇の辻遊郭(チージ)で一夜を過ごしたことから感染した不幸な出来事であり、くれぐれも鳳作はそんな人ではないからと、彼女は強調する。しかし、彼を「そんな人」と思う人間は誰もいないのである。秀子夫人は『句文集』後記に、ただ次のように書くのみである。 

 病気の原因が脳腫であったかはよく分かりませんが、一時、頸筋の痛みを訴え苦しんだ時期に「オレはもう死ぬ、お前に静子(赤ん坊)はやるから好きなように生きてくれ」と叫んだ事があり、その時は何と薄情な事をと情なく腹立たしく思いました。既に、死への予感がしていたのでしょう。 

 そうして、彼はこの後も体の不調を感じさせない、相変わらずの精力的な動きを見せる。彼の母親は後に、鳳作は「あんなに俳句を考えたので、神経がどうにかなり、俳句のため死を早めた」と悔やむのであるが、正にそのような彼の生き様であった。

   《引用終了》

 以上の前田氏の叙述は、病名を記されていないものの、鳳作の病気が脳梅毒であったということを明確に示唆するものである。私はその真偽について判断をすることは出来ない。前田氏の素朴な疑問は肯んずることが出来る(故に私も脳腫瘍や髄膜炎などの脳疾患を疑っている)。それでも医学的な見地から見ると不審な点はある。上記の記載と鳳作の那覇での句から遡って類推しても、若しも感染源がそこ記されてある通りでなるとするならば、感染は大学卒業直後の昭和四(一九二九)年頃と考えられる(当時鳳作は満二十三歳)が、亡くなるのは昭和一一(一九三六)年でその間七年しか経っていない。一般には成人が当時でも比較的稀な脳梅毒にまで進行するには感染後十年以上が罹る。しかも、鳳作の父政治は医師であった(但し、鳳作東大在学中に中風のために廃業して永く療養の身ではあった)。ともかくも私は、今現在、この記載には従えないのである。ただ一つだけ、その従えない外的な根拠としてどうしても述べておきたいのは、前田氏が鳳作の梅毒罹患の決定的な根拠とされている「海の旅―篠原鳳作遠景」という作品の作者である岸本マチ子なる人物を、私は残念ながら――鳳作とは無関係な別な理由で――全く信用出来ないという事実があるからである。ここでおよそそれについて語る気は毛頭ない。それでも私の嫌悪に等しい拒絶感に興味のあられる向きには、石川為丸のホームページ クィクィ通信にある「岸本マチ子の盗作について」の各種文書をお読みになることをお薦めする。

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