橋本多佳子句集「信濃」 昭和二十一年 Ⅱ 久女悼亡 春潮に指をぬらして人弔ふ
再び筑紫へ
わすれ雪髮をぬらして着きにけり
桃たへず雫してゐるわすれ雪
小倉櫓山莊にて 二句
廢園に海のまぶしき藪椿
杉田久女樣御逝去を知る。小倉在住當時
俳句の手ほどきを受ける。毎日のやうに
櫓山莊を訪づれられしを想ひ
春潮に指をぬらして人弔ふ
[やぶちゃん注:この昭和二一(一九四六)年初に前年冬の大分農場の後処理のための九州行とは別に再度、筑紫を訪れたという事蹟は実は年譜上にはないのだが、これらの前書及び以下に続く同年中の詠の中に、「久しぶりなるにしき丸にて九州へ」という前書のある「夜光虫」を詠み込んだ三句、また「由布嶽、鶴見嶽等園をかこめば」と前書のある夏の景を詠んだ句が含まれてあるから、この年は年初に福岡に(これは前年に引き続いての滞在の可能性もなきにも非ずだが、であるとしたら「再び」と前書はしないように私は思う)、また夏には大分に在ったと考えるしかない。なお、同年年譜の最後には農地改革によって『十万坪の大分農場は農地払下げとなる。坪八十銭』とのみある。
杉田久女はこの年の一月二十一日、入院先の福岡市郊外大宰府の県立筑紫保養院にて腎臓病の悪化により五十六歳で亡くなった。この時、多佳子四十七歳。久女の葬儀は密葬で淋しいものであったと推測される。多佳子も無論、その後に知ったということである。この一句、多佳子の、久女への悼亡に、如何にも相応しい一句である。]
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