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2014/04/06

杉田久女句集 180 リオデジャネイロ丸入港 / 戦前に汽船を用いた修学旅行があったこと

  リオデジャネイロ丸入港 一句

上陸のたのしき學徒バナナ買ふ

[やぶちゃん注:「リオデジャネイロ丸」りおでじゃねろ丸は大阪商船所属の初代「りおで志゛やねろ丸」であろう。貨客船として西回り南米航路に就航し、主に移民輸送に活躍した。後、太平洋戦争で日本海軍の特設潜水母艦・特設運送船として艤装、昭和一九(一九四四)年二月のトラック島空襲によって沈没している(ウィキの「りおでじゃねろ丸」に拠った)。西回り航路であるから下関とは関係がある。ポイントは「學徒」で、これは船旅の修学旅行の景ではなかろうか? およそそんな修学旅行が戦前にあったのかと疑われそうだが、ネット検索したところ、実は実際にある。しかもそれはまさにこの「りおで志゛やねろ丸」なのである。群馬県立桐生高等学校の関連ブログ「桐中・桐高外史」の「其の四十二 修学旅行①」に、同校が関西方面への修学旅行に汽船を利用していた旨の記載があり、そこには『なぜ「汽船」利用が始まったのかは分からないのだが、一般的には昭和4年からの世界恐慌で海運業界が不況となり利用が促され、「海無し県」群馬の生徒に体験させる良い機会と考えられたと言われる』とあり、県内では高崎中学校『が昭和5年に利用している。桐中は、昭和6年は不明だが昭和7年から14年まで8年利用しており、恐らく県下中学校の中では最も多く利用したのではなかろうか』とあって、利用した船舶としてハワイ丸の次に、南米移民船であるリオデジャネイロ丸『9,629噸』とあるのである(ウィキの記載では総トン数は9,626トン)。但し、この句は大正八(一九一九)年の作で果してそんな頃からこのリオデジャネイロ丸利用の修学旅行があったものかどうかまでは辿り得ていない。]

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