耳嚢 巻之八 痴狸油に醉て致死を事
痴狸油に醉て致死を事
内藤宿の先に井伊掃部頭(いいかもんのかみ)屋鋪有(あり)。拘屋敷にて、百姓家ありて惣圍(そうがこ)ひの門番せる嘉兵衞といへるありしが、町へは餘程間遠にて、燈し油壹升又は五合程づゝ坪樣(つぼやう)のものに入(いれ)て調へけるが、あるとき暮合(くれあひ)より出て右油を調え夜に入りて立歸る途中、何遍となく同じ道を行(いき)つ戻りつして宿に至らず。ふつと心付(こころづき)て、是はまさしく狐狸にたぶらかされしならんと思ひければ、其道顯然とわかれし故、漸く宿に歸りしが油は一滴もなかりけるゆゑ、さては狐狸のたぐひ油を奪ふべきために化されけり、無念の事なりとて臥(ふせ)しが、夜半に眼ざめけるに、宿の脇なる物置部屋に頻りにいびきするものありければ奮立(ふるひたち)出で聞(きく)に、ものこそ有(あり)ていびきなすなり。盜賊にてあるべしとて、用心に棒を引(ひつ)さげよくよく見れば、狸なり。憎き奴が仕業なりと棒を以て打(うつ)に、彼(かの)物驚き起たりしが、油に醉ふて自體自在ならざる樣子ゆゑ、ひた打(うち)に打殺しけるとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:四つ前と妖狸譚で連関であるが、その前にある「狸人を欺に迷ひて死を知らざる事」及びさらにその三つ前の「狸縊死の事」の間抜けな狸連中との連関の方がより強い。訳は終わりにオリジナルなオチ(にもなっていないが)を附した。お後がよろしいようで。
・「痴狸油に醉て致死を事」は「ちりあぶらにゑひて死を致すこと」と読むか。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版の題は「痴狸油に醉ふて頓死の事」。
・「内藤宿」内藤新宿。現在の新宿(新宿駅のある東京都新宿区新宿三丁目及び西新宿一丁目を中心とする地区呼称)。その名は甲州街道の宿場町内藤新宿(ないとうしんじゅく)に由来する。ウィキの「新宿」によれば、『江戸時代、甲州街道は起点である日本橋から最初の宿駅である高井戸まで』四里(約十六キロメートル)『という距離であり、起点と宿場までの間が長いため多くの旅人が難儀していた』ため、元禄一一(一六九八)年に『この地に新しい宿駅が設けられた。当時の信州高遠藩主であった内藤氏の中屋敷があったため、内藤新宿と称したことに起因している。この中屋敷跡が現在の新宿御苑であり、御苑のある地名も「内藤町」となっている』とする。なお、同ウィキには『東京方言における「新宿」の本来の発音は「しんじく」であるとされていた』とある。即ち、内藤宿は甲州街道の最初の宿駅江戸の『西の果て』ということになり、内実、江戸っ子にとっては「江戸じゃねえ!」地であったとも考えられよう。
・「井伊掃部頭」近江国の北部を領有した彦根藩藩主譜代大名筆頭井伊氏宗家・掃部頭家で、「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年であるから、この当時の藩主は従四位下・掃部頭・侍従であった井伊直中(いいなおなか 明和三(一七六六)年~天保二(一八三一)年)である。
・「拘屋敷」抱え屋敷の誤字と思われる。武士・寺院・町人などが農民から買い取った土地に囲いや家屋を設けた屋敷地のこと。正規の武家屋敷・町屋敷と区別される別宅をいう。「大辞林」によれば、抱え地は元禄四(一六九一)年以降は家作を禁じられて野原や田地のままで所有しなければならなかったとあるから、この伊井家のそれは、それ以前に別邸として建てた古い抱え地であったのであろう。切絵図を見ると現在の渋谷区代々木神園町の明治神宮の辺りに「井伊掃部頭」とある広大な敷地が広がっている。
・「坪樣」の「坪」の右には『(壺)』という訂正注がある。
・「自體」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は「身體」。
■やぶちゃん現代語訳
間抜けな狸が盗み舐めた油に酔うて死に至った事
内藤新宿の先に井伊掃部頭(いいかもんのかみ)殿の御屋敷が御座る。
ここは昔からの抱え屋敷で御座って、土地の百姓で、総囲いの同御屋敷の門番を致いておる嘉兵衛と申す者が御座った。
江戸とは名ばかりの西の果てなれば、町方よりはよほど間遠(まどお)なれば、そう毎日は通えぬゆえ、見張り方・御屋敷内の燈しに用うる油は、これ、一升又は五合ほどずつ、大きな壺のようなるものに入れては一度期に買い調へて御座ったと申す。
ある時、暮れより出でて、町方にてかの油を買い調え、夜に入って立ち帰らんとする途中、何故か、何遍となく、同じき道を行きつ戻りつして、これ一向に、己れが家に辿りつくことが出来なんだ。
ふっと気づいて、
『……これは……まさしく、狐狸に誑(たぶら)かされたに違いない!……』
と思うた――その一時の後には――見馴れた家への道が、画然と現われ見えたによって、ほっと致いて、漸くのことに家へ戻ることが出来た。
ところが、ふと覗き見れば――ぶら下げて御座った壺内の油は――これ――一滴も御座らなんだと申す。されば、
「――さては! やはり、狐狸の類いの、この油を奪わんがために、我を化してござったかッ! さてもさても、無念のことじゃッ!」
と、憤りつつも詮方なしに、ふて寝致いて御座ったと申す。
と、その日の夜半、何やらん、不思議なる音に眼ざめた。
家の脇にある物置き部屋より、これしきりに――
――鼾(いびき)する者が
――ある!
さればとて、勇気を奮い起こし、忍び足にて出でると、小屋の前にて聴き耳を立ててみた。と――
――これ確かに
――何者かが
――その小屋の内にあって
――高鼾(たかいびき)をこいて、おる!
『すわ! これはもう! 盜人(ぬすびと)に違いない!』
と、用心に引っ提げたる棒をしっかと握り、そうっと小屋を覗いて、よくよく見てみれば、これ――
――狸
で御座った。
「――!――何もかも! 憎(にっく)き奴(きゃつ)が仕業であったかッ!!」
と叫ぶなり、棒を以ってしたたかに居眠っておる狸を、打った。
と、かの狸、
――驚いて起き上がらんとしたものの、これ
――鱈腹飲んだる油にて
――すっかり酔うてもうて
――逃げるどころか、これ
――真っ直ぐに立つことさえも出来ぬ体たらく……
――ただそこに
――左にふらふら
――右にぶらぶら
――あたかも風に吹かれる金玉のごと
――およそ、力なく揺れ酔うて、己れの自由にならざる体(てい)にて御座ったれば
……嘉兵衛は、メッタ打ちに致いて打ち殺し、狸汁に致いた由。……ただ流石に、油臭(くそ)うて食うに堪えず……抱え地の周りに植えたる葱の肥やしに……ぶん投げ撒いた……とのことで御座ったよ。……
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