萎びた約束 山之口貘
萎びた約束
結婚したばかりの若夫婦の家なので
お気の毒とはおもいながらも
二カ月ほどのあいだをと
むりにたのんでぼくの一家を
この家の六畳の間においてもらったのだ
若夫婦のところにはまもなくのこと
女の子が生れたので
ぼくのところではほっとしたのだ
つぎに男の子が生れて
ぼくのところではまたほっとしたのだ
現在になってはそのつぎのが
まさに生れようとしているので
ぼくのところではそのうちに
またまたほっとすることになるわけなのだ
それにしてもなんと
あいだのながい二カ月なのだ
すでに五年もこの家のお世話になって
萎びた約束を六畳の間に見ていると
このまま更にあとなんねんを
ぷらすのお世話になることによって
いこおる二カ月ほどになるつもりなのかと
ぼくのところではそのことばかりを
考えないでは一日もいられないのだが
いつ引越しをするのかとおもうと
お金のかかる空想になってしまって
引越してみないことには解けないのだ
[やぶちゃん注:【2014年7月6日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した結果、旧全集のミスを発見、本文を訂正した。】思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」では末尾に句点があり、旧全集にはない。これは旧全集のミスと判断し、最後に句点を配した。初出は昭和二九(一九五四)年七月特大号『群像』。叙述から見て、東京都の職業安定所勤務を辞し、詩人としての生活に入った昭和二三(一九四八)年(辞職は三月)の七月、一家で妻静江さんの茨城の実家から上京、練馬区貫井町の月田家に間借りしたとある年譜記載のそれが、このお宅かと思われる。そうだとすると、この「すでに五年もこの家のお世話になって」という謂いと発表年はだいたい一致する。]
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