羊 山之口貘
羊
食うや食わずの
荒れた生活をしているうちに
人相までも変って来たのだそうで
ぼくの顔は原子爆弾か
水素爆弾みたいになったのかとおもうのだが
それというのも地球の上なので
めしを食わずにはいられないからなのだ
ところが地球の上には
死んでも食いたくないものがあって
それがぼくの顔みたいな
原子爆弾だの水素爆弾なのだ
こんな現代をよそに
羊は年が明けても相変らずで
角はあってもそれは渦巻にして
紙など食って
やさしい眼をして
地球の上を生きているのだ
[やぶちゃん注:【2014年7月3日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。注を一部追加した。】初出は昭和三〇(一九五五)年一月一日附『琉球新報』で思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」解題によれば、『羊の群れを写した「平和な朝明け 札幌・月寒高原にて』というキャプションを伴った写真とともに掲載された旨の記載がある(写真は、『琉球新報』写真部員の撮影になるもの)。また同年同月一月下旬号(一月二十一日発行)『出版ニュース』にも再掲されている。因みに、写真の「月寒高原」について、私は行ったことがないのでウィキの「月寒」に基づいて記しておく。現在は「つきさむ」と読み、北海道札幌市豊平区にある地名である(入植から昭和一八(一九四三)年までは「つきさっぷ」と呼んだ)。月寒の語源についは『諸説あるが、アイヌ語の「チ・キサ・プ」(chikisap、意味はチ=我々・キサ=こする・プ=もの)または「チ・ケシ・サプ」(丘の外れにある下り坂)がチキシャフとなり、それがなまって「つきさっぷ」となった説が有力である』とあり、現在「月寒高原」とは呼ばないようであるが、同所は丘陵であることが分かる。『現在では、札幌市営地下鉄東豊線が乗り入れており、月寒地区の南東部には札幌ドームが建設される等、札幌市の重要な住宅地のひとつとして発展を続けている』とある。
「羊」一九五四年のビキニ環礁の呪われたブラボー・ショットの作戦名が“Castle Bravo”、それを含むアメリカの一連の核実験“Operation
Castle”の意が、「羊」作戦である点に注意されたい。]