飯田蛇笏 靈芝 昭和九年(百七句) Ⅲ
雨土の落英ふみて御忌の路
[やぶちゃん注:「落英」「らくえい」で「英」は花・花びらのこと、散る花びら。因みに、花びらがはらはらと乱れ散るさまは「落英繽紛(らくえいひんぷん)」といい、これは陶淵明の「桃花源記」に基づく語である。
「御忌」は「ぎよき(ぎょき)」と読み、恐らくは浄土宗の寺院で毎年行う法然の忌日法要を指しているものと思われる。建歴二年一月二十五日(グレゴリオ暦一二一二年三月七日)に八十歳で薨去した法然の忌日である。江戸以前までは正月に行われたが、現在は四月に修し、特に有名なものでは京都知恩院の御忌大会がある(ここでのロケーション先は不明)。但し、くどいが飯田家の宗旨は曹洞宗である。]
風吹いて山地のかすむ雲雀かな
[やぶちゃん注:「山地」は「やまち」と読みたい。]
椶櫚蔭も露臺のひるや雲雀籠
[やぶちゃん注:前掲であるが「椶櫚」は棕櫚。]
春鹿に豐榮昇る日影かな
[やぶちゃん注:「豐榮昇る」は「とよさかのぼる」で一語の動詞として機能している。一般には「豊栄登り」で朝日が美しく輝いて昇ることやその日の出の時刻を指す、祝詞などに出る非常に古い古語である。]
ある娘が仕立の帶を見るに
黑繻子に緋鹿子合はす暮春かな
[やぶちゃん注:「黑繻子に緋鹿子合はす」これは恐らく黒い繻子織(しゅすお)り(経糸(たていと)・緯糸(よこいと)が五本以上から構成される織り物で、経・緯孰れかの糸の浮きが非常に少なく、経糸又は緯糸のみが表に表れているように見える織りをいう。密度が高く地は厚いものの、柔軟性に優れ、光沢が強い。但し、摩擦や引っかかりには弱い。サテン(satin)とも呼ぶが、これは本来は絹製のそれに限る英語である)地の織りの帯に、「緋鹿子」の割を入れた仕立ての帯と思われる。「緋鹿子」は「ひがのこ」と読み、鹿(か)の子絞(こしぼ)り(子鹿の背の斑点のような模様に染め上げる絞り染めの技法)の緋色のそれをいい、「割を入れる」というのは、布や模様などを途中で割って間に別の布・模様などを挟み込む手法をいう――とネット上の情報を総合して推測したのだが、書きながら実際にどんな帯なのかは実は私にはイメージ出来ない。識者の御教授を乞うものである。【二〇一三年四月十六日追記】上記注を公開後、私の尊敬する染めから手織りまで手掛けておられる姐さんにお伺いを立てたところが、早速ご返事を頂戴した。以下に引用させて戴く。
《引用開始》
この句は三通り、考えられるような気がします。
一つ目は、やぶさんの言うように「割を入れた帯」ということでしたら、そうだとは思いますが……黒繻子に緋鹿の子の割りを入れた帯というのは、少し私には抵抗感があります。
絵柄が入っていますが、緋鹿の子を強調させるほど絵柄に入れることがあるのかな? と思うのです。
二つ目。
黒繻子が表地で緋鹿の子は裏地というのかなとも思いました。
「鯨帯」(サイト「江戸浮世風呂」内「江戸の女はどのような装いをしていたのか?」というリンク先の「江戸小戸の娘および下働きの普段着」の解説を参照)
たとえば、結ぶときに少しだけ、どちらかを折って見せて結ぶ町家のお嬢さんが良く結ぶ結び方ですね。
で、ちょっと帯の上側を折ってみて、調子をみてみたというシチュエーションです。
三つ目。
これは、やぶさんの注記を読まずに、この句だけで、実は直感したのですが(^^)♪
――「合せる」――という言葉に反応しました。
黒繻子の帯、例えば帯揚げを何にしようかと考えて、緋鹿の子の帯揚げを合わせて見た。
――と感じたのです。[やぶちゃん注:後略。]
《引用終了》
この姐御のおっしゃる三つ目の『黒繻子の帯、例えば帯揚げを何にしようかと考えて、緋鹿の子の帯揚げを合わせて見た』というのが、これ、門外漢の流石の私でも今更に腑に落ちた。
「からからこ」姐さん(この方にはモースの注釈でもどえらい協力を頂戴している)――有難う存じました!――]