ねづみ 山之口貘
以下の詩は「鮪に鰯」の終わりから八番目に載る詩であるが、僕の愛する知人のために、先にまず今日、掲げることにする。順番が来たらまた再掲するつもりである。
*
ねずみ
生死の生をほっぽり出して
ねずみが一匹浮彫みたいに
往来のまんなかにもりあがっていた
まもなくねずみはひらたくなった
いろんな
車輪が
すべって来ては
あいろんみたいにねずみをのした
ねずみはだんだんひらくたくなった
ひらたくなるにしたがって
ねずみは
ねずみ一匹の
ねずみでもなければ一匹でもなくなって
その死の影すら消え果てた
ある日 往来に出てみると
ひらたい物が一枚
陽にたたかれて反そっていた
[やぶちゃん注:初出は昭和一八(一九四三)年七月号『山河』で、翌一九四四年十月青磁社発行の『歴程詩集(2604)』に収録された。『山河』は安西均・伊藤桂一らが出していた同人詩誌。同号の編集人は伊藤桂一で、発行は「山河発行所」で『渋谷区八幡通1ノ21八幡荘』と松下氏のデータにある。
本詩は一読、梅崎春生の小説「猫の話」を直ちに想起させるものであるが、梅崎のそれは内容からも歴然としているように、昭和二三(一九四八)年九月号の『文藝』が初出で(同年十二月河出書房刊の梅崎の作品集「B島風物誌」に所収された)、バクさんのこの詩よりも五年後の小説で、しかも「猫の話」は明らかに戦後を舞台としている(因みに、梅崎の「猫の話」は、「輪唱」という総標題を持つ「いなびかり」「猫の話」「午砲(一般には「どん」と読む)という、やや関連を感じさせる三篇から成るアンソロジー風の小説の中の一篇であって、独立した短篇小説ではないので注意されたい(少なくとも梅崎自身はそうしたものとして確信犯で書いていると思われる。かつて「午砲」の方は中学校の国語教科書に、「猫の話」は高等学校の国語教科書によく採録されていたので、これらを単独の小説と認識しておられる方がかなり多いと思われるので一言附け加えた)。]