飯田蛇笏 靈芝 昭和九年(百七句) Ⅸ
靑柿の花活け水をさし過ぎぬ
花罌粟に養痾の日ざしみちそめぬ
[やぶちゃん注:「養痾」は「やうあ(ようあ)」で、長患いの病いの療養をいう。]
夕ぐれの卓の綠酒に初莓
[やぶちゃん注:「綠酒」は「りよくしゆ(りょくしゅ)」で、質のよい酒。酒の美称。]
尼も乘る松前船の南風かな
[やぶちゃん注:「松前船」は「まつまえぶね」で北前船(きたまえぶね)のことを指していると思われる。北前近世初期から明治にかけて瀬戸内から松前の間の日本海側を航行する日本海海運で活躍した北国廻船(ほっこくかいせん)の海路及びそこで主に買積みとして用いられた大型木造帆船北国船(ほっこくぶね)の上方に於ける呼称。近世の中頃から用いられるようになった改良型の弁財船(べざいせん。千石船)をもいう(主にウィキの「北前船」を参照した)。
「南風」船員用語では「かぜ」を省略する「みなみ」が読みとしては普通。「はえ」「まぜ」「かじ」などの読みもあるが、音数律からここもそれであろう。]
珠數かけて芭蕉葉をしく病尼かな
[やぶちゃん注:「珠數」はママ。]
千代田城大手の蟬に龍駕出づ
大内へ皇子の歸還や星まつり
[やぶちゃん注:「星まつり」ここは七夕のことか。]
後宮に郭公刻(とき)をつげにけり
プラタヌに御輦も初夏の港かな
[やぶちゃん注:「プラタヌ」ヤマモガシ目スズカケノキ科スズカケノキ属プラタナス
Platanus に属する植物の総称であるが、その中でも特にスズカケノキ(鈴掛の木/篠懸の木)Platanus orientalis を指す。和名は果実が楽器の鈴に似ていることに由来する。但し、参照したウィキの「スズカケノキ」によれば、本邦で見かけるものは雑種モミジバスズカケノキ(紅葉葉鈴懸の木)Platanus × acerifolia であることが多いとある。「御輦」は「ぎよれん(ぎょれん)」と読んでいるか。「輦(てぐるま)」「輦車(れんしゃ)」「輦輿(れんよ)」。屋形に車を付けて手で引く乗り物。内裏の中では徒歩が礼式であったが、東宮・親王・女御・摂政・関白などはこれに乗って入ることを許された。]
みくるまに初夏の皇子睡し給ふ
[やぶちゃん注:「初夏」は「はつなつ」と、「睡」は「ねぶり」と訓じているか。]
親王の御輦の薔薇白妙に
鳳輦は沼津へつきぬ雪解富士
[やぶちゃん注:これらはこの前年十二月に生まれた今上天皇(昭和八(一九三三)年~)を詠んだものなんだろうか? 一歳に満たずにこんな京都行が行われたんだろうか? よう分からん。識者の御教授を乞うものである。]
天目山、二句
弔うて墓苔にほふ盛夏かな
雲通る百姓寺の曝書かな
[やぶちゃん注:「天目山」山梨県甲州市大和町(やまとちょう)木賊(とくさ)にある臨済宗建長寺派天目山棲雲寺(せいうんじ・栖雲寺)のことであろう。天目山山中の標高約一〇五〇メートルの日川(ひかわ)渓谷の上流左岸にある。天目山は甲斐武田氏が二度に亙って(応永二四(一四一七)年に室町幕府に追われた武田氏第十三代当主武田信満が山中の木賊村で自害して甲斐武田氏は一時断絶、後に再興された甲斐武田氏は百六十五年後の天正一〇(一五八二)年、織田政権に追われた武田氏第二十代当主武田勝頼がこの山麓の田野村で自害して甲斐武田氏は滅亡した)滅亡した旧跡でもある(以上はウィキの「棲雲寺」及び「天目山」に拠った)。]
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