またはじまった 山之口貘
またはじまった
かれらはぼくのぐるりを
はなはだうるさく飛び廻った
ぼくは腹立ちまぎれに
ペンをそこにおいては
かれらのことを一々
掌でもってたたきつぶし
あるいは縁のうえにたたきのめした
かれらは蚊であったり
足ながであったり蛾であったり
こがね虫または兜虫であったりした
ある夜
一匹の兜虫が
電気すたんどの笠にすがりついた
ぼくはペンをおいて
兜虫のその首を摑み
そのまま持って縁側に飛び出した
するとよけいな口をきくもので
またはじまったと女房が言った
[やぶちゃん注:【2014年月日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。本篇は僕の手違いで公開を落としていたため、急遽、ここに挿入したことをお断りしておく。】初出は昭和二四(一九四九)年十一月号『改造文藝』。
「足なが」双翅(ハエ)目糸角(カ)亜目ガガンボ下目ガガンボ上科ガガンボ科 Tipulidae のガガンボ類のこと(ガガンボという和名は江戸時代に命名されたもので「蚊の母」に由来する)。アシナガトンボと呼ぶ地域もある。
この詩、凡百の色気に充ちた自称詩人なら「こがね虫」の後に「兜虫」は出さずに、後半の景に抒情味を添えてしまうであろうなどと思ったりした。]