蕪の新香 山之口貘
蕪の新香
見おぼえのある顔だとおもっていると
芹田ですと来たのでわかったのだ
かれはいつぞや原稿の催促に
ぼくのところを訪ねて来たのだ
ぼくのところでは生憎と
なんにもない日ばかりがつづいていたので
来客のたんびに夫婦してまごついたのだ
それでもお茶のかわりにと
白湯を出してすすめ
お茶菓子のかわりに
蕪の新香を出してすすめたのだ
かれはしかし手もつけなかった
いかにも見ぬふりをしているみたいに
そこにかしこまってかたくなっているのだ
足をくずしてお楽にとすすめると
これが楽ですとひざまづいているのだ
蕪の新香はきらいなのかときくと
こっくりに素直さが漂った
ぼくは今日の街なかで
かれに逢ったことを手みやげにして
芹田君に逢ったと女房に伝えたのだが
女房にはすぐに通じなかった
蕪の新香のきらいなと言うと
あああの芹田さんかとうなずいたのだ
[やぶちゃん注:【2014年7月7日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。初出を注に追加した。】初出は昭和二九(一九五四)年三月号『世潮』。この雑誌は「せちょう」と読み、東京都千代田区一番町にあった民主評論社の発行していた文芸誌と思われる。同年二月に第一巻第一号が発行されている。
私はこの芹田君(不詳)に逢ってみたくてたまらない。]