作者 山之口貘
作者
ほめてみたり
けなしてみたりの
世間の批評を蒙むるたびごとに
おまえは秤をたのしんだ
あちらの批評と
こちらの作品と
[やぶちゃん注:【2014年7月22日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。注を一部改稿した。】初出は昭和二二(一九四七)年五月二十六日号『文化ウイクリー』(佐世保市白南風町(しらはえちょう)の「新興藝術社」の発行)。この雑誌は、掲示板「スカラベ広場Ⅱ」のスカラベ・ヒロシ氏の二〇一一年九月九日の「佐世保の戦後文化運動」という投稿に佐世保市史編さん委員会編「佐世保市政七十年史」下巻(佐世保市一九七五年刊)からの引用として、『太平洋戦争ぼっ発当時、特高のきびしい取り調べをうけた竹森久次氏が、まず個人経営の文学雑誌「九州評論」を出し、戦時中発刊していた「佐世保文学」も復刊した。つづいて金子正氏の新興芸術社からは、矢動丸広氏や津山久雄氏らによる「ウィークリー」、そして北村一也氏などによる「建設青年」が出、中村正久氏らによって「土曜人」が生まれ、佐世保の文化人を結集した佐世保ペンクラブが生れ、佐世保文化研究会が誕生したのである。終戦とともに開放された佐世保の文化は、花一時に開くの観があった。』と引用され、さらに同佐世保市史編さん委員会編「佐世保市史」通史編下巻(佐世保市二〇〇三年刊)には前に出る「新興芸術社」についての部分を引用され、昭和一〇(一九三五)年に日本大学文化芸術学科卒であった金子組組長金子正『が主宰する新興芸術社が、『九州評論』に競い立つかのように「純文学新聞」として週刊文芸誌『文化ウィークリー』を刊行する』とある雑誌である。]