親子 山之口貘
親子
大きくひらいたその眼からして
ミミコはまさに
この父親似だ
みればみるほどぼくの顔に
似てないものはひとつもないようで
鼻でも耳でもそのひとつびとつが
ぼくの造作そのままに見えてくるのだ
ただしかしたったひとつだけ
ひそかに気を揉んでいたことがあって
歩き方までもあるいはまた
父親のぼくみたいな足どりで
いかにももつれるみたいに
ミミコも歩き出すのではあるまいかと
ひそかにそのことを気にしていたのだ
まもなくミミコは歩き出したのだが
なんのことはない
よっちよっちと
手の鳴る方へ
まっすぐに地球を踏みしめたのだ
[やぶちゃん注:【2014年7月12日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプ及び有意な相違箇所を発見、本文を訂正、さらに注を一部追加した。】
「鼻でも耳でもそのひとつびとつが」の「びとつ」はこの一篇では清書原稿を底本とした思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」によって改めた(旧全集は「鼻でも耳でもそのひとつひとつが」である)。限定を意味する漢字の濁音が私はよいと考えたからである。
初出は昭和二五(一九五〇)年十一月号『電信電話』。現行の初期題は「親子」の他に「ミミコのあんよ」というのもある。ミミコこと山之口泉さんは昭和一九(一九四四)年生まれであるから、発表時は既に六歳である。バクさんの驚くべき推敲時間の長さがここでも垣間見られる。]