中島敦 南洋日記 二月二十一日 / 中島敦 南洋日記 了
二月二十一日(土)
朝、公學校觀察。生徒の體操行進。佐野氏と落合ふ。波止場迄トロッコに乘つて行く。九時半出帆。何時迄も帽子を振る見送人。直ちにベンタウを喫し、臥して、船の搖るゝを待つ。忽ち船上にてよりカマスを釣れ上ること數尾、午頃、そのカマスを刺身にして喰ふ。旨し。
チャモロの一家傍にあり。仔豚。米を拾ふ。佐野氏と竝んで臥したるまゝコロールに着く。午後二時半頃なり。
[やぶちゃん注:以下の短歌については読み易さを考え、歌の後に行空けを施した。なお、敦のこの短歌とこの日の日記は既に私のサイト内の「やぶちゃん版中島敦短歌全集 附やぶちゃん注」で電子化してある。そちらもご覧戴ければ幸いである。]
あめつちの大きしづけさやこの眞晝珊瑚礁(リーフ)干潟に光足らひつ
大き空が干潟の上にひろごれり仰げばしんしんと深き色かも
蟹むるゝリーフ干潟の上にしてつややけきかもよ蒼穹の靑は
搖れ光る椰子の葉末を行く雲は紗の如き雲鞠の如き雲
○汐招き汐を招くと振りかざす赤羅鋏に陽はしみらなる
○汐招き鋏ひた振り呼ぶめれど汐は來ずけり日は永くして
○人無みと汐招きらがをのがじしさかしらすると見ればをかしゑ
○日を一日いそはき疲れ呆けゐる夕自演の汐招きどち
○汐招き鋏休めつ暫しくを夕汐騷(ざゐ)に耳澄ましゐるか
○汐招き鋏ふりつゝかにかくに一日は暮れぬ海鳥の聲
○汐招きが赤き鋏の乾く見れば干潟に晝は闌けにけらしも
ひそやかに過ぐる音あり風立ちて砂の乾きて走るにかあらむ
○パラオなるアルコロン路の赤山の許多章魚の木忘らえぬかも
[やぶちゃん注:「アルコロン」再注しておくと、現在のパラオ共和国の州名ともなっている地域。パラオの主島であるバベルダオブ島の最北端のくびれて突出した地域に位置する。ここにある古代遺跡バドルルアウには巨石柱(ストーン・モノリス)が辺り一帯に点在し、他にもコンレイの石棺など多くの遺跡が残されている地域である(以上は主にウィキの「アルコロン州」に拠った)。
「許多」「あまた」と訓じていよう。数多。]
○海へ崩(く)ゆる赤ら傾斜(なだり)に章魚の木が根上りて立つ立ちのゆゝしも
禿山のパン→たこの木どもがをのがじしたこの實持ちて立てるをかしさ
[やぶちゃん注:「パン」の下線と→のは全抹消に先だって抹消訂正されて「たこ」となっていることを示す。]
○夕坂を海に向ひてたこの木が何やら嗤ひ合唱(うた)へる如し
○たこの木がたこの木毎に顏扮(つく)り、夕べの坂に我を威すはや
たこの木はたこの木らしき面をして夕べの顏風に吹かれてゐるも
○葉は風に枯れ裂けたれど、たこの木も、實をもてりけり、あはれたこの實
○たこの木がたこの木み抱くとをのがじし、たこの木さびて立てるをかしさ
*Errmolle
* リーフ緣、
*Aermoole
{Kerekell 淺瀨
[やぶちゃん注:以上の三つのアスタリスク「***」の部分には大きな「{」が一つ附されて、二単語が孰れもリーフの縁を意味する語であることを示している。この三つの単語の覚書きは恐らくミクロネシアのピジン・イングリッシュのそれかと思われる。
この敦の日記本文は私にはタルコフスキイの「ストーカー」を想起させさせる。中島敦こそもう一人のタルコフスキイだったのではあるまいか?……
これを以って中島敦の日記(昭和十六(一九四一)年九月十日至昭和十七年二月二十一日)は終わっている。
最後に底本の末尾に配されてある地図を掲げておく。これは底本後記によれば、『表紙裏の見返しのところに貼られてある地圖』とあるものである。右頁が右上から時計回りに、
ヤルート島圖
トラック諸島圖
クサイ島圖
サイパン及テニアン島圖
左頁が同じ順で、
ヤップ島圖
ポナペ島圖
パラオ諸島圖
とあり、左頁上にはスケール(上が里で下がキロメートル。起点がスケールの端でなく、左寄りの途中位置にあるので要注意)と地図記号の「凡例」がある。昭和初期(南洋群島の日本帝国の占領は大正一一(一九二二)年)のそれであるから、地図記号がとても興味深く、この地図を見るだけでもなかなか楽しいものである)。]
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