きゃべつ 山之口貘
きゃべつ
売るほどつくっては
いないんだと言いながらも
すぐそこの裏の畑から
ひとつふたつはもぎって来るのだ
おいくらでしょうかと財布を取り出すと
かぶりを横に振って
銭など要らないお持ちなさいと言うのだ
でもおいくらなんでしょうかと言うと
知らない人でもないのだから
高い銭など気の毒なんで
もらえるもんじゃないやと来るのだ
でもとにかくおいくらなんだか
もらいに来たのではないのだからと言うと
純綿の手拭でも一本
ほしいのだがと出たのだ
それでもきゃべつは黙っていた
売ろうと売れまいと買おうと買えまいと
黙っておればいいのだ
[やぶちゃん注:【2014年7月21日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプを発見、本文を訂正、さらに注を全面改稿した。】初出は昭和二五(一九四八)年八月号『芸術』(発行所は東京都文京区森川町「八雲書店」)。掲載誌の標題は「農村風景 きやべつ」。思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の解題によれば、総標題「夢を評す」で、後掲される「ミミコの由来」・「やまぐちいづみ」・「ミミコの独立」(掲載誌では「ミミコの獨立獨歩」。旧字はママ以下同じ)・「縁側のひなた」(掲載誌では「緣側にて」)・「湯気」(掲載誌では「湯氣」)・「蠅」(掲載誌では「農村風景 蠅」)・本詩・「夢を評す」の計八篇が同時掲載された。これはバクさんの詩の初出の複数掲載としては特異点といえる。(煩瑣なので以下の同時掲載詩篇ではこの注を略し、『前掲「きゃべつ」注参照のこと』とすることとする)。
新全集解題に、清書用原稿には、後ろから三行目の「それでもきゃべつは黙っていた」の部分に、
きやべつは別になにも言はなかつた
と記した推敲痕跡が見られるとあるが、「定本 山之口貘詩集」を底本とする旧全集でもそうなってはいないので、バクさんは、元の詩行を採用したものと思われる。
書誌データから推定すると、これら八篇の詩群は総て正字体で且つ拗音化せずに表記されていた可能性が窺えるので、掲載時の標題に直して恣意的に正字化したものを各篇の最後に加えることとする(以下、この注記は略す)。
*
農村風景 きやべつ
賣るほどつくつては
いないんだと言いながらも
すぐそこの裏の畑から
ひとつふたつはもぎつて來るのだ
おいくらでしようかと財布を取り出すと
かぶりを横に振つて
錢など要らないお持ちなさいと言うのだ
でもおいくらなんでしようかと言うと
知らない人でもないのだから
高い錢など氣の毒なんで
もらえるもんじやないやと來るのだ
でもとにかくおいくらなんだか
もらいに來たのではないのだからと言うと
純綿の手拭でも一本
ほしいのだがと出たのだ
それでもきやべつは默っていた
賣ろうと賣れまいと買おうと買えまいと
默つておればいいのだ
*]
« 利根川 山之口貘 | トップページ | 蠅 山之口貘 »