飯田蛇笏 靈芝 昭和九年(百七句) Ⅷ
日影して孔雀いろなる盆の市
避暑の娘を大濤高う搖りにけり
白靴に朝燒けのして蘇鐵園
單衣着の襟の靑磁にこころあり
プール參觀
水光にけたけた笑ふ裸かな
[やぶちゃん注:「けたけた」の後半は底本では踊り字「〱」。]
うす箋に愁ひもつゞり夏見舞
風鈴屋老の弱腰たてにけり
繭賣つて骨身のゆるむ夫婦かな
富士垢離のほそぼそたつる煙りかな
[やぶちゃん注:「ほそぼそ」の後半は底本では踊り字「〲」。修験道に由来する富士講(江戸庶民に流行したあの富士講とは系統が異なる)の山伏が、初夏に富士禅定を行なう前に水辺で水垢離をとって身を清める修行を指す。]
盆花を手折るや蜂のいとなめる
[やぶちゃん注:供養を「いとなめる」の謂いか。]
餓鬼道の靑草にほふ盆會かな
風吹いて古墳の土の蜥蜴かな
山柴を外す肢かも枝蛙
[やぶちゃん注:「枝蛙」は「えだがへる」で雨蛙の別称。とすると先に出た「榛の枝を山蛤(あまかへる)おつ泉かな」の句の「山蛤」では、もしルビ通りの「雨蛙」であるのなら、蛇笏は「枝蛙」と書いて「あまかへる」するのではあるまいか? このことは、私が当該句で注したように「山蛤(あまかへる)」は無尾目カエル亜目アマガエル科アマガエル亜科アマガエル属ニホンアマガエル(日本雨蛙)Hyla japonica ではなく、カエル亜目アカガエル科アカガエル亜科アカガエル属アカガエル亜属ヤマアカガエル(山赤蛙)Rana ornativentris であるかも知れない一つの可能性を示唆するものであるようには思われるのである。]
水替へて鉛のごとし金魚玉
[やぶちゃん注:「金魚玉」金魚鉢の古い言い方。厳密には古典的な開口部の直径よりも胴の直径の方が大きい球体然としたもののことを指す。]
深窻に孔雀色ある金魚玉
揚羽とぶ花濡れてゐる葎かな
大揚羽ゆらりと岨の花に醉ふ
鐵塔下茄子朝燒けに咲きそめぬ
浮きくさを揚げたる土の日影かな
綠蔭やうすはかげろふ漣を追ふ
[やぶちゃん注:「うすはかげろふ」とあるが、「漣」という水辺のロケーションからは、全く異なる種であるカゲロウ類との誤認が強く疑われる。有翅亜綱新翅下綱内翅上目アミメカゲロウ目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidae に属する仲間若しくはその中の一種であるウスバカゲロウ Hagenomyia micans は、羽根が薄く広く、また弱々しく見えるというよく似た印象の、真正のカゲロウ類とは全く異なった種なのである。ウスバカゲロウ類は一般にはアリジゴクの成虫として知られ(但し、本科の全ての種の幼虫がアリジゴクを経るわけではない)、卵から幼虫・蛹を経て成虫となる完全変態をする昆虫であるのに対し、真正のカゲロウ類は旧翅下綱
Ephemeropteroidea 上目蜉蝣(カゲロウ)目 Ephemeroptera
に属するヒラタカゲロウ亜目 Schistonota・マダラカゲロウ亜目 Pannota で、これらの仲間は総ての幼虫が水棲生活をし、しかも不完全変態(幼虫期は「ニンフ」(nymph)と呼んで完全変態の幼虫「ラーヴァ」(larva)と区別する)である(ここまでは主にウィキの「ウスバカゲロウ」と「カゲロウ」に拠った)。知られた梶井基次郎の「櫻の樹の下には」の一節に、
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二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を傳ひ歩きしてゐた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげらふがアフロデイツトのやうに生れて來て、溪の空をめがけて舞ひ上がつてゆくのが見えた。お前も知つてゐるとほり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。暫く歩いてゐると、俺は變なものに出喰はした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を殘してゐる、その水のなかだつた。思ひがけない石油を流したやうな光彩が、一面に浮いてゐるのだ。お前はそれを何だつたと思ふ。それは何萬匹とも數の知れない、薄羽かげらふの屍體だつたのだ。隙間なく水の面を被つてゐる、彼等のかさなりあつた翅が、光にちぢれて油のやうな光彩を流してゐるのだ。そこが、産卵を終つた彼等の墓場だつたのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるやうな氣がした。墓場を發いて屍體を嗜む變質者のやうな慘忍なよろこびを俺は味はつた。
*
と出るが、これも実はウスバカゲロウは誤りで真のカゲロウ類であることが、梶井の描写そのものによってお分かり戴けるものと思う(なお、他にやはりよく似た形態のものに卵を「ウドンゲ(憂曇華/優曇華)の花」と呼ぶ新翅下綱内翅上目脈翅(アミメカゲロウ)目脈翅(アミメカゲロウ)亜目クサカゲロウ科 Chrysopidae もいるが、これもカゲロウ類とは異なり、完全変態で幼虫の形態はアリジゴクに似ている。ウィキの「クサカゲロウ」などを参照されたい)。]