ある医師 山之口貘
ある医師
銀座でいきなり
こえかけられて
お茶のごちそうにあずかり
巻たばこなんぞすすめられたりして
すっかりこちらが恐縮していると
こんどは名刺を
差し出された
なにかのときには是非どうぞと云うのだ
みると名刺には
医師とあった
ぼくはひそかにかれの
医専時代を知っていた
なんども繰り返し落第していたのだが
もうその心配もなくなったのか
医師はいかにもせいせいと
そこに社会を
まるめるみたいにして
生えたばかりの
鼻ひげをつけていた
[やぶちゃん注:【2014年7月21日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。】初出は昭和二四(一九四九)年二月号「VAN」(発行所は東京都中央区銀座「イヴニング・スター社」)。桑原涼氏のブログ「戦後グラフ雑誌と……」の「62回 伊藤逸平の『VAN』が終わるとき」に、この雑誌と出版社の詳細が明らかにされている。それによれば、『綜合諷刺雑誌と謳った『VAN』には、著名な漫画家、評論家、作家が執筆した』とある創刊は昭和二一(一九四六)年五月でその創刊号『だけ見ても、漫画では横山隆一、近藤日出造、麻生豊、加藤悦郎、小川武、利根義雄、横井福次郎、堤寒三、秋好馨、佐宗美邦、池田献児。エッセイ・評論では徳川夢声、室伏高信、津村秀夫。小説では木々高太郎などの名が見える』とあり、同誌『には探偵小説が掲載され、「VAN増刊号」として、探偵小説名作選集を出すなど、探偵小説への傾斜が目立っていた。発行元のイヴニング・スター社は』創刊翌年の一九四七年四月『には純文芸雑誌『諷刺文学』(のちの『人間喜劇』、A5判)と探偵小説誌『黒猫』(B6判)を創刊して、諷刺と探偵小説路線を鮮明にした(すべての雑誌の編集兼発行人の名が伊藤逸平になっている)』とある。解題によれば初出の題名は「ある醫師」と旧字体である。]