島からの風 山之口貘
島からの風
そんなわけでいまとなっては
生きていることが不思議なのだと
島からの客はそう言って
戦争当時の身の上の話を結んだ
ところで島はこのごろ
どんなふうなのだときくと
どんなふうもなにも
異民族の軍政下にある島なのだ
息を喘いでいることに変りはないのだが
とにかく物資は島に溢れていて
贅沢品でも日常の必需品でも
輸入品でもないものはないのであって
花や林檎やうなぎまでが
飛行機を乗り廻し
空から来るのだと言う
客はそこでポケットに手を入れたのだが
これはしかし沖縄の産だと
たばこを一箱ぽんと寄越した
[やぶちゃん注:【2014年7月14日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証した際、ミス・タイプを発見、本文を訂正、さらに注を全面的に改稿した。】この一篇では清書原稿が底本とされている思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」では十二行目が、
輸入品でないものはないのであって
と「輸入品でも」の「も」がなく、十五行目が、
空から島に来るのだと言う
と「島に」という補語は入っている。
新全集解題によると初出は昭和二七(一九六二)年十二月号冬季号『季刊詩誌 無限』とする。解題筆者の同じ松下博文氏の「稿本・山之口貘書誌(詩/短歌)」のデータによると草稿の初題は「島からの来客」である。
私は清書原稿のこの二箇所の違いが非常に気になる。孰れも清書原稿の方がよい(特に「島に」は私の感懐(後述)からは絶対に必要なのである)。ここで煩を厭わず、清書原稿版で全詩を示すこととしたい(せっかくだから私の趣味で恣意的に「縄」は「繩」とした)。
島からの風
そんなわけでいまとなっては
生きていることが不思議なのだと
島からの客はそう言って
戦争当時の身の上の話を結んだ
ところで島はこのごろ
どんなふうなのだときくと
どんなふうもなにも
異民族の軍政下にある島なのだ
息を喘いでいることに変りはないのだが
とにかく物資は島に溢れていて
贅沢品でも日常の必需品でも
輸入品でないものはないのであって
花や林檎やうなぎまでが
飛行機を乗り廻し
空から島に来るのだと言う
客はそこでポケットに手を入れたのだが
これはしかし沖繩の産だと
たばこを一箱ぽんと寄越した
この詩、私には――カーゴ・カルトとしてのニライカナイ信仰の悲痛な変容のシニカルなカリカチャア――そうした沖繩からの妙に気持ち悪く(「うなぎ」を選んだのも一つにはそのためかとも感ぜられるのだが)生温い「風」――として――詩人の身にべたべたと吹きかけてくるように感ぜられるのである……]