芥川龍之介手帳 1-6
〇4版本170
[やぶちゃん注:「170」は横書。これは旧全集にはない。]
〇他人に與へられし injury と伴ひて起る自己強大感
[やぶちゃん注:「injury」は事故などに起因する傷害・危害・損害・損傷及び感情・評判などを傷つけること・無礼・侮辱・名誉毀損の意。]
〇惡は否定す
[やぶちゃん注:旧全集には不載。]
○低き動機の否定による善人はそれを高調する惡人に劣る
[やぶちゃん注:これは、如何にも賤しい動機であるが故に、それを正しくないとして認めずにある行為を行わずにいる善人という存在は、如何に動機が賤しくてもそれを強く主張して断固として行為する悪人に劣る、という謂いであろうか? とすれば、龍之介の作品群にはしばしば見られる「生」の絶対悪のアフォリズムとしては納得出来る。]
〇一圓やつてよろこぶ顏のみられた孫が大きくなつて自分の小づかひではよろこばせる事の出來なくなつた(しかも愛してゐる)祖母のさびしさ
○兄弟+女
始めは兄が弟を殺すかの如くかき 女をころすに完る
[やぶちゃん注:明らかに大正六(一九一七)年四月二十日脱稿で七月に発表された「偸盗」のモチーフ(「兄」=太郎・「弟」=次郎・「女」=沙金)である。]
○最大の不快は現在の諸制度の缺點より來らす その制度の止むを得ざるを認めてしかもその缺點を發見するより來る
[やぶちゃん注:「來らす」はママ。旧全集は「來らず」と校訂されおり、そうでないと意味は通じない。「侏儒の言葉」に配してもそれらしく見えるアフォリズムである。]
○“There is something in the darkness.”says the
elder brother in the Gate of Rasho.
[やぶちゃん注:これも「偸盗」の断片である。羅生門(羅城門)は作品の後半部で重要な舞台となる。但し、決定稿には兄太郎の羅生門での台詞に「あの暗闇の中に何かがいる(ある)。」といった意に類したそれはない。いや、この「闇」は寧ろ、かの「羅生門」のエンディングの――羅生門の『下を覗のぞきこんだ』老婆がそして読者が見た、『黑洞々たる』闇――であり、初稿に於いて――『既に、』『京都の町へ強盗を働きに急いでゐた』『下人』の消えた闇――と言い得るように私には思われる。]
〇兄は貞操を肉體に限らんとす 弟はそれを精神に限らんとす この葛藤= bodily にすれば明なるも難點多し spiritual にすれば不明なるも moral value あり
[やぶちゃん注:「偸盗」のテーマについてのメモ書きである。肉感的描写(或いは性的描写)を行うと検閲に引っ掛かり「難點」が多く、かといって「精神」的な部分を主眼に置いてストーリーを運んだのでは読者に意味が通じ難くなる(「不明」)が、しかし検閲の倫理的制約からは逃れられるというプラグマティックな謂いか? それとももっと哲学的な主題性に於いて、肉欲的描出を行えば明白なテーマの表示が可能となるが、それだと精神との対称性の中で、作り物的な状況が惹起されて「難點」が「多」くなる、かと言って精神的哲学的な如何にもステロタイプな定立(肉体)と反定立(精神)という二律背反的テーマで書き進めると、これはまた如何にも難解「不明」な作品になってしまう、しかし、それでも倫理的価値(観点?=評価?)は示し易く、受け取られ易いのではないか、という謂いか? これは決定稿の「偸盗」の沙金の人物造形が、ややステロタイプのマニエリスムに堕しており、今一つ、生々しいリアリズムに欠けること(と私は感じる)と関係する呻吟であろうか? この後のメモとも合わせ、非常に興味深い(と私は感じる)。]
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