明恵上人夢記 37
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一、同十三日より、寶樓閣小呪十萬返、之を始む。同十四日、日中行法の時に、幻の如くして、殊勝なる家有るを見る。御簾を持ち擧ぐるに、十五六歳許りの美女、□を懸け、白き服を着て、成辨を見ると云々。
[やぶちゃん注:これは明確な白中夢である点で特異点の夢で、その光景も妖しくも神々しいものを感じる。
「同十三日」建永元(一二〇六)年六月十三日。
「寶樓閣小呪」「浄土真宗聖典電子化計画」(WikiArc)の「宝楼閣観」に『極楽浄土の建物である宝楼閣(宝で飾った高殿)の相を観想すること。
総観(そうかん)想(そう)ともいう』とある。また、ウィキの「密教」の注(26)に『「生法宮」(しょうほうきゅう)とは「智慧の火」を生み出す空行母(ダーキニー)の宮殿のことで、日本風にいうと宝楼閣』ともある。また、「宝楼閣経」、詳名を「大宝広博楼閣善住秘密陀羅尼経」という経典があり、全三巻で唐の不空訳。諸尊が住む楼閣を讃え、その陀羅尼の功徳を説く。この経により滅罪・息災・増益などを祈る法を宝楼閣経法という、と中経出版「世界宗教用語大事典」に載る。また「小呪」とは真言の一種で、一つの仏に対して長さの異なる三つの真言がある場合があり、それぞれ大呪・中呪・小呪(又は大心呪・心呪・心中心呪)と称する。これらから広義にとれば極楽世界の宝で飾った高殿を観想するための真言又は「宝楼閣経」法に基づくそれを修したとも、また狭義にとらえるなら、ダーキニー=荼枳尼天の真言を修したともとれる。もし、これが荼枳尼天のそれだとすると、ウィキの「荼枳尼天」の中世の信仰の記載によれば、『中世になると、天皇の即位灌頂において荼枳尼天の真言を唱えるようになり、この儀礼で金と銀の荼枳尼天(辰狐)の像を左右に祀るという文献も存在する』とあり、『また、平清盛や後醍醐天皇の護持僧・文観などが荼枳尼天の修法を行っていたといわれ、『源平盛衰記』には清盛が狩りの途中で荼枳尼天(貴狐天王)と出会い、この修法を行うか迷う場面が記されている』として、『この尊天は祀るのが非常に難しく、一度祀ると自分の命と引きかえに最後までその信仰を受持することが必須とされ、もしその約束を破ると、その修法を止めた途端に没落する、あるいは災禍がもたらされるとも考えられていた。したがって、これは外法として考えられることもある忌まれる信仰でもあった』と述べられており、これだと相当な難法と考えられる。しかしだからこそ、それは白昼夢を体験させたのだとも言えるように私は感じている。
「十五六歳許りの美女」以上述べたようにその修法が、もし荼枳尼天(だきにてん)のそれだとすると、この「美女」は俄然、妖艶な女天形をとることの多い荼枳尼天を私には思わせるのである。
「□を懸け」「□」は底本の判読不能字表記。髪飾りや袖飾りもあろうが、訳では、首に、ととった。]
■やぶちゃん現代語訳
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一、同十三日より、宝楼閣小呪十万返の修法を開始した。修法昼夜兼行の翌十四日のことであった。日中の行法の最中に――幻のごとくにして、格別に美しく神々しいまでの屋敷が眼前にあるを見る。――屋内に参って御簾を持ち挙げる。――と――そこには――十五、六歳ばかりの美女が――首に□を懸け、白い服を着て――私を――凝っと見つめている……。

