篠原鳳作句集 昭和一〇(一九三五)年七月
私の王國(マイ・キングダム)
樂たのし饐ゆるマンゴの香もありて
(注)マンゴーは熱帶特有の果物で香氣が高く果物の王と稱せらる
樂たのし翅に眼のある蛾も來り
[やぶちゃん注:鱗翅(チョウ)目ヤママユガ科ヤママユガ亜科 Saturnia 属クスサン Saturnia japonica の類か(屋久島以北亜種クスサンは
Saturnia japonica
japonica、奄美以南亜種クスサンは Saturnia japonica ryukyuensis)。クスサンは本土にも棲息し、マンゴーも少なくとも現在は鹿児島県で栽培されている(戦前に栽培されていたかどうかは未調査)から、必ずしもこの連句は単に宮古や沖繩の追懐詠とすることは出来ないように思われるが、マンゴー・目玉模様の白蛾・サボテン・ゴム(但し、「ゴムの葉に」の句は後に発掘されたものでこの連作にはない。当該句の注を参照のこと)と強く南国のイメージ、それも本句を見るに確かな嘱目吟としか思えないことは事実である。但し、この前書「私の王國(マイ・キングダム)」は、そうした彼の南洋への熱い思いとは別の、この一月の妻との熱い蜜月の「王國」ででもあるのかも知れない。年譜にはないが、妻秀子とのハネムーンは何処だったのだろうか? 次の「珊瑚島」句群は二人の幸せな一時の実景としかやはり思われないのであるが……。識者の御教授を乞うものである。]
樂きけり白蛾はほそき肢(あし)に堪へ
サボテンの掌の向き向きに樂たのし
[やぶちゃん注:ここまでが連作で七月発行の『天の川』の巻頭を飾った連作である。]
ゴムの葉ににぶき光は樂に垂り
[やぶちゃん注:これは「篠原鳳作句文集」とある。これは鳳作忌三十五年を記念して昭和四六(一九七一)年に形象社から刊行されたものである。確かにこの連作に配して自然ではある。]
珊瑚島
妹(いも)あがをれば來鳴きぬ鷗らも
鷗等はかむ代の鳥かかく白き
碧玉のそらうつつつばさかく白き
よるべなき聲は虛空に響かへり
吾妹子(わぎもこ)のいのちにひびけさは鳴きそ
[やぶちゃん注:この連作は七月発行の『傘火』に発表された。
鳳作の句の中でも特異な歌垣である。間違いなく、妻秀子とのミラージュに見紛う不思議に美しい映像だ……二人きりの珊瑚礁……しかし……しかし同時に私には何か不吉な感じもしはしまいか?……これらの句はどこか……かの……遂に白鳥(しらとり)となって虚空へ消えていった悲劇の美青年ヤマトタケルを連想させる……そして……鳳作は……この翌年昭和一一(一九三六)年九月十七日早朝、天に召されてしまうのである……]
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