萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(9)
逢はぬ夜はこほろぎさへも來て鳴くと
いふはいさゝか作りごとめく
(ある女の呼出しに答へて)
たんらんの蜘蛛が巣をはる手段(てだて)より
尚にくむべき君がまなざし
[やぶちゃん注:「たんらん」「貪婪」で「貪婪(どんらん)」に同じい。]
心地よし長椅子(ソフア)の上に煙草のむ
歡樂の後の淡き惓怠
[やぶちゃん注:「惓怠」倦怠。「惓」はこの場合は「倦」に同じい。]
猶太びとエホバの御子を待つ如く
果敢なきかなやわがたのみごと
あゝ君は何の權威ぞ渇きたる
我に缺けたる酒盃(さかつき)を投ぐ
われきゝぬ今日も捕手(とりて)の二三人
門を開けよと叩ける音を
前橋の共進會の裏門の
畑の中にきく秋の風
△
[やぶちゃん注:「共進會」群馬県文書館発行の『文書館だより』(第十八号 平成四(一九九二)年一月号)の(主任田中尚氏の冒頭記事に(リンク先はPDFファイル。当時の会場の写真あり)、
《引用開始》
明治四十二(一九一〇)年九月七日から二カ月間、群馬県主催一府十四県連合共進会が前橋市で開催されました。共進会とは、産業の振興をはかるため参加府県が物産を陳列し、その成績を審査表彰するというもので、府県連合のかたちで全国的に行われていました。
会場は前橋市内二カ所に設けられ、第一会場の清王寺町(現県民会館)には、市が一万九〇〇〇坪の土地を提供して本館がおかれました。第二会場の連雀町(現本町一丁目)には参考館が建てられ、第二会場は馬匹畜産共進会が紅雲町(現前橋女子高校)で行なわれました。[やぶちゃん注:ここに写真の解説が入るが全文引用は気が引けるので中略とする。]
第一会場には、このほか蚕糸館、特許館、染織工芸館、雑工業業館などの陳列館が立ち並び、七万点を超す各種産物が陳列されました。また、飲食店や各府県の売店、余興地の活動写真、不思議館などの興行は多くの人々でにぎわい、入場者は一一三万人以上にのぼりました。
期間中前橋・渋川間には電車が開通し、市街地の家庭には電灯がともり、会場の建物は夜間イルミネーションに輝くなど、電気時代の幕開けのなか空前のにぎわいとなりました。
《引用終了》
とあり、これと考えて間違いあるまい。まさに朔太郎好みのイベントである。感じからはこの第一会場であろう。
なお、この一首の次行には、前の「きく秋の風」の「の」位置に、表記のように『△』が配されて、この無題歌群の終了を示している。]