辛十四娘
広平の
馮秀才は正徳のころの人で、若い、気がるな酒のみだった。
あるとき、朝早く歩いていると、美しい娘が、
小奚奴を従え、露を踏み、
履襪をぬらして行くのに会い、いい女だと思ったのである。
夕がた、酔って帰って来る道ばたに
故蘭若があって、その中から出て来たのは、さっきの麗人であった。馮の来るのを見ると、すぐ身を
転して中にはいった。
馮は、ひそかに考えた、美しい娘が禅寺にいるはずはないと。で、
驢馬を門につなぎ、怪しい娘を見届ける気で中にはいった。垣はたえだえにくずれ落ち、階上には
細草が毛氈を敷いたようにはえている。馮がぶらついていると、身なりの小ぎれいな、ごましおの老人が出て来て、
「客人は、どこから来られたのじゃ」
聞く。馮は、
「ふと、この古寺に来たので、ちょっと、うかがいたいと思ったんです。老人はなんでここにこられたんです?」
「わしは、寄るべがないので、しばらくこの寺を借りて、家内・子どもを落ちつかせているのです。来てくださったんだから、お酒がわりにお茶でもいれましょう。お寄りなされ」
すすめられてはいって行くと本殿のうしろに一かまえの庭があって、石の路が、きれいに掃除されて草もなく、部屋にはいると、
簾幌や
牀幌から、香霧が、噴きつけるように漂ってくるのであった。やがて席につくと老人は、
「わしの姓は
辛といいますじゃ」
と言って姓字をのべた。
馮は酔いに乗じて、
「娘ごは、まだ、おつれあいがないと聞きましたので、みずから
揣らず、
鏡台をあげたいと思って来たんです」
辛は、にこにこしながら、
「家内に相談してみますでな」
と言うので、馮は筆を求めて詩を作った。それは、
千金玉杵をもとむ。
いんぎんに手みずからもつ。
雲英にもし意あらば、
みずから
為に
元霜を
擣か
む。
というのである。主人は笑って、そばのものにそれをわたした。しばらくすると
婢が来て、辛に何かささやいた。辛は馮に、待っていてくれとあいさつしてたちあがり、幕を引きあげて奥にはいっていった。そして、こそこそ三口四口話して出てきた。馮は、きっと、よい返事があるだろうと思っていた。しかし、辛はすわりこんで笑いばなしをするばかりで、ほかの事は何も言わないのだ。馮は耐えられなくなって、
「どうです。聞かせてください」
と言うと、辛は、
「あなたは、えらいかたです。久しくしたっているのです。しかし私の考えは言えませんじゃ」
馮は、かたく話してくれと頼んだ。すると辛は、
「子どもは十九人で、嫁にいったのが十二人あります。かたづけるのは家内まかせで、わしは取りあわんことになっていましてな」
と言うのである。
「小生は、今朝小奚奴をつれて露にぬれながら歩いていた人がほしいんです」
辛は答えなかった。二人は黙って向かいあっていた。すると、奥からやさしい声が聞こえてきたので馮は酔いに乗じて簾をかかげ、
「妻にもらえんければ顔でも見て、それで、満足しましょう」
と言った。簾の鉤の動く音を聞くと、内では、みんな立ちあがって、驚きながめるのであった。そのなかに、袖を振り、
鬟をかたむけ、すらりと立って帯をいじりながら、はいってくる人を見ている紅い着ものの人がいた。
部屋じゅうが騒ぐのをみて辛は怒った。そして数人の下男に言いつけ、馮を外に突き出した。馮は酒がいよいよまわってきたので、草の中に倒れてしまった。すると瓦や石が雨のように乱れ落ちてきたが、幸いにしてからだには当たらなかった。
しばらく
臥ていると、驢馬がまだ路ばたで草を食っているのが聞こえたので、起きあがって驢馬にまたがり、ふらふらしながら行くのであったが、おぼつかない夜だったので、途を誤って谷あいにはいった。狼が歩いたり
梟が鳴いたりするのである。馮は、ぞっと身の毛をよだたせ、うろうろ見まわしたがどこだか少しもわからなかった。と、はるかに木だちの中から、燈火がちらちらもれているので、たぶん村落だろうと思って、そこをさして馳せつけると、仰いで見るような高い門があった。鞭で門をたたくと中で、
「どこのかたです。こんな夜中においでになったのは」
と聞く人があった。馮が路に迷ったのだと言うと、
「お待ちなさい、主人に申しますから」
馮は足をならべて
鵠のように待っていたが、しばらくすると
管をははずして扉を開き、たっしゃそうな下男が出て来て、馮に代わって驢馬をひいてくれた。
案内に従って中にはいった。たいそうりっぱな部屋で、座敷には燈火が輝きわたっていた。しばらくすわっているうちに、婦人が出て来て、姓名をたずねた。馬が名を告げると、ややあって数人の
靑衣が一人の老夫人を助けて出て来た。そして、
「
郡君がおいでです」
と言った。馮が起立して、うやうやしく拝礼しようとするのを老夫人は止めて座につかせ、自分もすわって、
「おまえは
馮雲子の孫ではないかね」
と言うので、馮が、
「そうです。どうしてごぞんじなんです」
と聞くと老夫人は、
「おまえは、わたしの
弥甥なのじゃ。わしは
鐘漏並歇て老いさきがないのに、
骨肉のなかでいながら、とんとぶさたをしていますじゃ」
と言うので、馮は、
「わたしは小さいときに父を失ったもんですから、わたしの祖父のころの人は、十人のなかで一人も知らないくらいなんです。まだお会いした事がありませんが、どうぞ教えていただけませんか」
と言うと、老夫人は、
「おまえ、いまにわかるよ」
と言うので、馮はふたたび聞かなかった。そして向かいあったまま考えていた。すると老夫人が、
「おまえ、こんな夜ふけにどうしてここへ来たのです」
馮は胆力を誇ろうと思って、今夜であった事を詳しく話した。老夫人は、にこにこして、
「たいへんよい事じゃ。まして、おまえは人に知られた秀才じゃから、縁者の恥になりほせぬ。野狐なぞがいばることはでけんのじゃ。おまえ心配するにおよばん。わしが、うまく呼んであげるからの」
馮は、はいはいと礼を言った。老夫人は側の者に、
「わしは辛家の女の子を知らんが、そんなに、よいかの」
すると腰元が、
「あれには十九人娘があって、
都翩々有風格でございます。あなたが娶りたいとおっしゃるのは、何番めですかしら」
馮は言った、
「年が、かれこれ十五あまりなんです」
「それは十四番めの娘でございます。三月ちゅう、母親について
郡君をお
寿いにまいりましたのに、どうしてお忘れあそばしたんです?」
老夫人は、にこにこして
「そんなら、蓮の
弁を
刻った高い
履をはいて、履のなかに香
屑をいれ、
紗でうえを
蒙いて歩いていたのかえ?」
「そうでございます」
そこで、
「あのこは、おめかしが、うまいのだね。そしてほんとに美しかったよ。甥の
賞鑒は、あやまっとらん」
と言って老夫人は腰元に向かい、
「小狸をやって呼んで来さしなさい」
腰元は、はいと言って部屋を出たが、しばらくたってからはいって来て、
「辛家の十四娘を呼んでまいりました」
と言った。
すぐ紅衣の娘が来て老夫人の前にひれふし、拝礼しようとするのを老夫人は引きとめて、
「ゆくゆくは、うちの甥嫁じゃ、女中の礼をしなさるな」
娘は立ちあがって、紅衣の袖を低く垂らし、すらりと立っている、その髪をなでつけて、耳環をいじりながら、
「十四娘、近ごろうちにいて、どんなことをしてじゃ」
「ひまな時には、ただ
挑繡をしております」
と答えたが、ふりむいて馮を見ると、はにかんで不安そうな顔をしていた。
老夫人が、
「これは、わしの甥で、熱心におまえと縁ぐみをしたがっているのじゃ。なぜ路に迷わせたり、一晩じゅう谷を歩かせるようなめに、あわしたのだえ?」
と言うと、娘は、うつむいたまま黙っていた。
「わしがお前を呼んだのは、ほかではない。甥のために、仲人をしようと思うてじゃ」
娘が黙っているばかりなので、老夫人は
榻を掃除して、ふとんを敷くように言いつけ
合巹をさせようとするのだった。娘は、はにかみながら、
「帰って父や母に申します」
「わしがお前のために、仲人をするのじゃ。なんのまちがいが、ありましょうぞ」
「父母は、
郡君のおおせにそむくようなことはありますまいが、こんなに早々では、わたくし、おおせに
奉えません」
おだやかな顔つきなのだが、どこやらに強い気持ちが漂っていた。老夫人は、にこやかに、
「小娘ながら志を動かせぬのは、まったく、わたしの甥嫁ほどある」
と言って娘の頭上から金の
花の一つを抜いて馮にわたし、家に帰って吉日をきめるように言いつけた。そして腰元に娘を送りかえさした。遠くの方で鶏のうたうのが聞こえるのである。老夫人は下男に命じて驢馬をひかせ、馮を送り出させた。数歩の外に出て、ふりかえると、
村舎はもうなくなって、ただ松、
楸がくっきり黒く、蓬の穂が墓をおおっているはかりだった。馮は、しばらく考えてから、やがてそこが
薛尚書の墓であることに気づいた。薛尚書というのは、もと、馮の祖母の弟であったので、馮を甥と言っていた。馮は
鬼にあったのだと悟ったが、十四娘が何者であるかわわからなかったので、嘆息して帰ってから、心の中で、でたらめに日どりをきめて待ってはいたが、幽霊の約束が頼みになるとは思われなかった。それでまた
蘭若に行ってみると、荒涼たる
殿宇があるばかりである。土地の人に聞くと、寺内でときどき狐を見かけると言った。馮はひそかに、もし、あんな麗人がもらえるなら、狐でも、いいと思った。
やがてその日が来た。馮は思い切れないで、家や路を掃除させ、かわるがわる下男をやってながめさせたけれども、夜半になっても音さたがなった。馮は望みを失ってしまったが、にわかに、門外が騒がしいので、急いで出てみると、
繡をした
幰が庭にとまって、腰元が娘を助け下ろし、
靑廬ちゅうにすわらせた。しかし常例の
妝奩などはなくて、ただ二人の髯の長い男が、酒甕ぐらいの大きな
撲満を一つかつぎこみ、肩を休めると、それを部屋の隅に置いたのである。
馮は麗人を得たの喜んで、それが異類あることなどは少しも気にしなかった。あるとき女に、
「君の家では、なぜ
死鬼をあんなに尊敬するんだね」
と聞くと女は、
「
薛尚書は今では
五都巡環使で、何百里の間の間の幽霊も狐も、みな尚書に従っているんです。それでお墓にお帰りになる時はまれなんです」
馮は
蹇修を忘れなかった。あくる日、お墓に行って祭りをして帰ってくると、二人の腰元が
賀いに来て、貝や錦を机の上に置いて帰った。馮が女に言うと、女はそれを見て、
「これは郡君の物ですわ」
と言った。
村に楚という
銀台があって、その公子は小さいときから馮といっしょに学問をした仲でたいそう
相狎かったので、馮が狐の妻をもらったというのを聞いて、披露の
餪をおくった。そして披露宴に来て、祝い酒を飲んで帰ったが、数日後また手紙で招いた。女は馮に、
「いつか公子が来た時、わたし壁の穴から、のぞいて見たんですが、猿のような目で鷹のような鼻で、長くつきあう方ではありません。行ってはいけませんよ」
と言うので、馮は招宴に行かなかった。すると、あくる日、公子は約束にそむいたといって責めに来て新作を
献せた。そこで馮は遠慮のない批評をしたが、
嘲笑がまじっていたので、公子は、ひどく恥じ、いやな思いをして帰っていった。その晩、馮が
房で笑いながら話をすると、女は悲しそうに、
「公子は
豺のようなかたで、
狎れては、いけないんです。あなた。あたしの言うことを聞かないから、いまに災難が来ますよ」
と言うのであった。
馮は、それを聞くと笑いながら謝った。そしてその後、公子に会うごとにお世辞を言って機嫌をとったので、前のへだても少しずつとけていった。
おりから
提学の試験があった。公子は第一番だったので、へらへら喜んでいた。[やぶちゃん特例注:原文は「會提學試、公子第一、生第二」とあるから、馮は次席であったんである。これを訳から落すとちょっと以下の展開が摑みにくくなるので特に注した。]
ある日、公子は使いをよこして馮を迎えた。いっしょに飲もうというのである。馮は断わったが、しきりに招くので、しかたなしに出かけて行った。来てみると、それは公子の
初度いわいだった。賀客が満ちあふれ、盛大な宴会が開かれていた。公子は高慢な顔をして試験の
巻を出して馮に見せた。親しい学友たちは肩をかさねて歎賞した。そのうちに酒が幾まわりかして、広間では音楽がかなでられ、笛や鼓の音が入り乱れて、客も主もたいそう楽しかった。と、公子は馮に向かって、
「ことわざに、
場中文を諭ぜずということがあるが、このことばのあやまりであることをいま知ったよ。ぼくが君より上に出られたわけはだね、はじめの数語が少しまさっていたからなんだね」
公子がこう言うと、一連の人たちは、みんなほめたたえたが、馮は酔っていたので、こらえきれず大笑した、
「はっ、はっ、はっ。 君は今になっても、まだ文章のためにこうなったと思ってるのか?」
馮のことばを聞いて一座の人たちは色を失った。そして、公子は、気が結ぼれるほど恥じもし怒りもした。そのうちに客はだんだん去ってしまった。馮も、やはり逃げるように帰ったが、酒がさめてから後悔して女に話した。女は、わびしげな顔をして、
「あなたは、ほんとに
郷曲の
儇子なのね。君子に対して軽はずみなことをすれば、自分の徳をなくなすし、小人に対してすれば自分の身を殺すことになりますのよ。あなたには遠からず
禍が来るでしょう。あたし、あなたのおちめを見てはいられませんから、これぎり、別れたいと思うんです」
女は真剣なのである。馮は心配して泣いてあやまり、後悔していると言うと、女は、
「もしも、あたしを留めようと思うんだったら、これからは、戸を閉めて遊び仲間と手を切る、むだな酒は飲まないと、はっきり約束をしてください」
と言うので、馮はまじめに女のことばに従ったのである。
十四娘は勤倹な一面
灑脱なたちであった。毎日縫いものや織りものに精を出していて、時には里帰りをすることもあったが、泊まってくることはなかった。また、暮らしの金を払った残りは
撲満に投げ入れるのだった。こうして毎日、門をしめ、たずねて来る者があれは、下男に言いつけて、ことわらせた。
その翌日、楚公子から手紙が来たが、女は焼き捨てて馮に聞かせなかった。またその翌日、馮は城内に
弔みに行って、死んだ人の家で公子に会った。すると公子は馮の手を取って、飲みに来いと、ひどく誘うのだった。さしつかえがあるからと言って、ことわったが、公子は
圉人に
轡をひかせてつれて行った。
公子の家に来ると、すぐ
洗腆いつけた。馮は、また早く帰りたいと言ったけれども、公子は、無理に引きとめ、家の姫を出して
箏を
弾かせ音楽をやらせるのであった。
馮は根がかまわないたちだったし、先ごろから家に閉じこもって、ひどくいらいらしていたところへ、いきなり、ひどく飲んだので気が大きくなり、なんの考えもなく、酔い倒れてしまった。
公子の妻の
玩氏は、ひどい焼きもちやきで、腰元や妾に化粧をさせないほどだった。二、三日前、女中が公子の書斎にはいっているところを玩氏につかまり、杖で頭を打たれ、頭が裂けて即死してしまった。公子は馮が嘲弄したというので、馮に遺恨をふくみ、毎日しかえしを考えているところへ、この事があったので、酔わして無実の罪に落とそうと
謀り、馮が酔って寝ているのに乗じて、女中の死骸を寝台のそばに
扛きこんだ。そして扉を閉めて、行ってしまった。
馮は朝まだきに酒がさめ、はじめて自分が卓の上に寝ているのに気がついた。起きて枕や寝台をさがし歩いていると、何やら、やわらかいものが足にさわった。手でなでてみると人間なのである。馮は主人が、子供を
伴睡によこしたのだろうと思って、また、それを踏んでみたけれども動かないのだ。馮はたいそう驚いて、部屋の外に出て、どなった。すると下男たちが、みんな起きてきた。彼らの持っている燈火で照らし出されたのは女の死骸だった。下男たちは馮を下手人だと言って騒ぎたてた。そこへ公子が出てきてその場を調べ、氷河が
逼奸しようとし女中を殺したのだと言い張って、馮に無実の罪をきせ、馮をとらえて広平の役所に送った。
翌日、はじめて、その事を知った十四娘は
澘然として、[やぶちゃん特例注:「澘然」は正しくは「潸然」(サンゼン・センゼン)で、涙が流れるさま、さめざめと涙を流すさま、の意。]
「今日のことがあろうとは早くから知っていた」
と言った。そして日取りを考えては、獄中の馮に金をおくってやるのであった。
馮は
府尹に調べられたが、言いひらきができなかった。朝夕拷問を受けるので、皮肉がすっかり落ちてしまった。そこへ女が会いに来た。その顔を見ると、胸がふさがって物も言えなかった。女は落し穴の深いのを知り、
冤罪に服して刑をまぬかれるようにすすめた。馮は泣いてそれに従った。女の行き来を人は
咫尺にいながら見ることができなかった。
女は帰ってくると部屋にこもって泣いていたが、急に女中をどこかへやって、何日かひとりで暮らしていた。そして仲人婆さんに頼んで、禄児という良家の娘を買った。
笄になる花のように美しい娘であった。寝起きから、飲み食いまでをともにして、その、かあいがりようといったら、ほかの子供たちとは、まるで違っていた。
馮は誤殺を承認したので、絞殺に擬せられた。そのたよりを持って帰った下男は、声もでないほど泣くのであったが、女はそれを聞いても平気で、気に止めぬようであった。が、死刑の日がきまると、女は、はじめて、あわてふためき、夜も昼も出歩いて足を休める間もなかった。そして、いつも寂しいところで泣いていた。寝も食いもしないほどだった。
ある日、夕がた、狐の腰元が、ひょっこり帰って来た。女はすぐに起ちあがり、手を引きあって人のいないところに行き、ひそひそと話していたが、出て来たときには、すっかり、にこやかになっていて、ふだんのように家事をかたづけていたのであった。
翌日、下男が獄舎に行くと、馮はことづけたのである、奥さまに一度来て、長の別れをするようにと。で下男はそのとおりを伝えたのであるが、女は、いいかげんな返事をして、少しも悲しまず、平気でいたから、家の者は、ひそかに、むごいと言って非難するのだった。
楚銀台は免職されて、平陽の観察が特に聖旨を奉じて馮生の事件を裁くことになった、といううわさがわくように言い伝えられた。下男はそれを聞くと喜んで奥さまに知らせた。女も喜んで下男を役所にやって探らせた。下男が行った時には、馮はもう獄舎から出されていて、たがいに悲しんだり喜んだりしているとき、突然、公子が捕まってきた。ただ
一鞠べですっかり事情がわかったので、馮は許されて家に帰り、妻を見ると、はらはらと涙を流す、女もまた相対して泣くのであった。
しかしなんで上聞に達したかが、どうしてもわからないので馮が不思議がると、女は笑って腰元を指さし、「これが、あなたの功臣なの」
と言った。馮は驚いて、わけをたずねた。
これより先、女は腰元を都にやって、馮の冤罪を宮廷のお聞きに達しようとしたのである。腰元は都についたが、宮中は神さまが守護しているので、
御溝のあたりをうろつくばかりで、幾月かはいられなかった。で、腰元は、やりそこないはしないかと心配し、一度帰って相談しようと思っていると、天子が大同府に
御幸になるということを聞いたので、腰元は先に行って流れわたりの遊女になって待っていた。そし天子の寵愛を受けたのである。天子は腰元が
風塵の者のようでないのを疑われた。すると腰元は涙を流すので、天子が、どんな、つらい事があるのかと聞かれると、腰元は申し上げた、
「わたくしは原籍が広平で、
生員馮某の娘なのでございます。父が冤罪で牢獄に入れられ死にそうになっておりますので、とうとうわたくしを
勾欄に売るようなことになったのでございます」
花のような顔から、涙の露が、ほろほろこぼれ落ちるのである。帝はあわれに思って、百両の金を賜わった。そして、おたちになる時、冤罪の
顚末を、こまかにおたずねになり、紙と筆を出して姓名を書きとめてから、ともに富貴を受けようではないか、とおっしゃった。
腰元は申し上げた、
「ただ
父子が、いっしょになりたいと思うばかりでございます。
華膴をいたそうとは存じません」
天子は、うなずいて、おたちになった。
腰元が事情を話すと、馮は涙に目をひからせ、急いで腰元を拝したのである。
それからまもなくのことだが、女は、だしぬけに言うのであった。
「あなたと縁を結ばなかったなら、あたし、どこへいったって心配なんかなかったと思いますわ。あなたがつかまった時あたし
戚眷間を奔走したんですが、一人だって相談にのってくれる人がなかつたんです。その時の悲しさといったら、まったく、お話もできないくらいです。今度
塵世を見て、つくづくいやになりました。あなたのためによいつれあいを
蓄いときましたから、あたし、これでお別れいたします」
それを聞くと馮は泣き伏したまま起きあがらなかった。それで女は思い止まったのである。その夜、禄児を馮の
侍寝にやったけれど、馮は拒んで納れなかった。朝になって見ると、十四娘の容光が、めっきり落ちていた。そして一月あまりもすると、だんだんふけて半年ほどたったら、まっ黒な
村のばあさんみたいになってしまった。けれども馮は
敬にして少しも変わらなかった。すると女は、また別れ話を持ち咄して、
「あなたには、もう
佳いつれがあるじゃありませんか、なんで、こんな
鳩盤に用があるんですの?」
と言った。しかし馮は前のように、ただかなしみ泣くばかりであった。それから、また一月)ほどして、女はにわかに病気になった。飲み食いもせず、弱って
閨闈に寝ているのである。馮は父母にかしずくように
侍湯薬したが、
巫いもききめがなく、とうとう死んでしまった。馮は死ぬほど悲しんで、腰元に賜わった金で、とむらいをすましたが、数日後、腰元も見えなくなったので、禄児を本妻にした。
その年がすぎると男の子ができた。しかし毎年不作が続いて、家はだんだん落ちぶれて行くのだ。夫婦ともくふうがつかないので、向かいあって悲しむばかりだったが、ふと思いだしたのは部屋の隅の
撲甕あった。十四娘がその中に銭を投げ入れるのをつねづね見ていたが、いまでも、まだあるかと思って、そばに行き、
豉具やしお
盎などが、いっぱい並べて置いてあるのを取りのけて、
箸でその中を探ってみたが、堅くて箸ははいらぬのだ。仕方がないので打ち割ると、金があふれ出たので、とみに豊かになったのである。
その後、下男が
太華に行ったら、十四娘が
靑騾に乗り、腰元が駿馬にまたがってついてくるのに会った。下男が胆をつぶしてあきれていると、
「馮さまはごぶじかえ?」
と、たずねた。
「ご主人にいっておくれ。あたしは、もう仙人になっています。喜んでくださいまし、とね」
言ってしまうと見えなくなった。
注
一 奚は下男。小奚奴は僮すなわち童僕のこと。ボーイと訳しておく。唐の李駕は、小奚奴に古錦囊を負わせ、句を得るとその中に投入したという。[やぶちゃん特例注:この「李駕」は「李賀」の誤りである。]
二 むかし温嶠という人が、妻をうしなって後妻をさがしているおりから、おばの劉氏が、娘のつれあいを見つけてくれと頼んだ。娘を見ると、姿もよしりこうらしくもあるので、住い婿は得がたいが、自分ぐらいでよいか、ときくと、おばは、おまえのようなのは、とても望むことはできないだろう、と答えたのであった。その後、温嶠は報告して、門地や官等が自分より少しも劣らないのを見つけたと言い、結納に玉の鏡台を送ってやった。おばはたいそう喜んだ。それで、いよいよ結婚をする時になって、婿が温嶠自身なのを見た娘は、紗の扇を開きながら、笑って、あたし、もとから、この人だろうと思っていたんですと言った。それから、婿を自薦することを、鏡台をおくる、というのである。
三 昔、裴航という人が、藍橋を過ぎ、のどがかわいたので、ある家の婆さんに、飲むものをくださいといったら、婆さんは娘の雲英に一碗の飲みものを持って来さして、航に飲ました。美しい娘であった。航が妻に欲しいというと婆さんが、あたしは仙人になる霊丹を持っているが、それを
搗く玉製の杵と臼とがないので困っている。もし玉の杵と臼とを持ってきたら娘をあげましょうと答えた。そこで藍航は方方たずねて、やっと玉製の杵と臼とを手に入れ、それを婆さんにやって雲英を娶った。もちろん婆さんは霊丹を飲んで仙人となった。藍航と雲英も、のち、やはり仙人となった。[やぶちゃん字注:「
搗く」は底本では「搗(つ)く」でルビではない。これは底本の注がポイント落ちであるためにルビが読み難くなるためであるが、私のテクストでは同ポイントとしているので向後はこれらをルビ化し、本注記も略すこととする。]
四 漢の武帝が、王太后母蔵児を尊んで、平原郡君としたのが、郡君の始めである。
五 魏の田予が「年七十を過ぎて位にいるのは鐘鳴り漏尽きて夜行くがごとし罪人なり」と言ったので、老人のことを、鐘漏、というようになった。
六 土でこしらえ銭を入れる穴がある、満ちるとうちわって出す、それで撲満というのである。今の貯金玉と思えばよい。
七 伏義の臣蹇修は媒をつかさどっていた。
八 宋史職官志に「銀台天下の奏状を掌収す」とある。通政司である。
九 婚礼後三日めに開く宴会である。
一〇 提学とは、提督学改すなわち学政使のことで、各省の教育をつかさどり、三年を期として、省内をめぐって試験をするのである。
一一 初度は出生した日のことで、誕生の祝日のことをいう。
一二 荀子に、郷曲優子、とあって、注に、軽薄巧慧の子なり、とある。
一三 洗は清潔にすること。腆は厚くすること。書経に、洗腆致用致酒、とある。
一四 長安の御溝は、楊溝ともいう、楊を上に植えてあるからだ。また羊が角で垣墻をいためるのを防ぐために、溝をほって羊をへだてるようにしてあるから、羊溝とも禁溝ともいうのである。そして、終南山の水を引いてあるのが、宮中を通ってくるおんで、御溝ともいう、と中華古今の注にある。
一五 唐の任瓌が、妻の杜正倫を
畏れて、女には、三の畏るべき時代がある。その一つは、少妙にして生き菩薩のような時だ。その一つは、児女満前にして九子魔母のような時だ。その一つは、五、六十になって薄く妝粉を施し、あるいは靑く、あるいは黒く、鳩盤荼のような時だ、といった。鳩盤荼というのは、鬼の名である。
一六 豉または豉豆ともいう。黒大豆を蒸して
藁で覆い、
黴が出たら水をまぜ
婁に入れて泥で封をしておき、久しくそのままにしておくのである。黴が出てから塩、薑、椒を加えて、甕に入れる遣り方もある。各種の大豆でつくられる。ここでは豉具を、豆腐壺、としておく。[やぶちゃん字注及び特例注:「水をまぜ」の部分、「水を(まぜ)」とあるが丸括弧を除去した。下の「(かめ)」に引かれた記号の衍字と思われる。これは今は比較的知られるようになった、私が殊の外好む調味料「
豆豉」である。ご存じない方は
ウィキの「豆チ」を参照されたい。]
■原文
辛十四娘
廣平馮生、正德間人。少輕脱、縱酒。
昧爽偶行、遇一少女、著紅帔、容色娟好。從小奚奴、躡露奔波、履襪沾濡。心竊好之。
薄暮醉歸、道側故有蘭若、久蕪廢、有女子自内出、則向麗人也。忽見生來、即轉身入。
陰念、麗者何得在禪院中。縶驢於門、往覘其異。入則斷垣零落、階上細草如毯。彷徨間、一斑白叟出、衣帽整潔、問、
「客何來。」
生曰、
「偶過古刹、欲一瞻仰。翁何至此。」
叟曰、
「老夫流寓無所、暫借此安頓細小。既承寵降、有山茶可以當酒。」
乃肅賓入。見殿後一院、石路光明、無復蓁莽。入其室、則簾幌床幙、香霧噴人。坐展姓字、云、
「蒙叟姓辛。」
生乘醉遽問曰、
「聞有女公子、未遭良匹。竊不自揣、願以鏡臺自獻。」
辛笑曰、
「容謀之荊人。」
生即索筆爲詩曰、
千金覓玉杵
殷勤手自將
雲英如有意
親爲擣玄霜
主人笑付左右。少間、有婢與辛耳語。辛起慰客耐坐、牽幕入。隱約三數語、即趨出。生意必有佳報、而辛乃坐與嗢噱、不復有他言。生不能忍、問曰、
「未審意旨、幸釋疑抱。」
辛曰、
「君卓犖士、傾風已久。但有私衷、所不敢言耳。」
生固請之。辛曰、
「弱息十九人、嫁者十有二。醮命任之荊人、老夫不與焉。」
生曰、
「小生祇要得今朝領小奚奴帶露行者。」
辛不應、相對默然。聞房内嚶嚶膩語、生乘醉搴簾曰、
「伉儷既不可得、當一見顏色、以消吾憾。」
内聞鉤動、群立愕顧。果有紅衣人、振袖傾鬟、亭亭拈帶。望見生入、遍室張皇。
辛怒、命數人捽生出。酒愈湧上、倒蓁蕪中。瓦石亂落如雨、幸不著體。
臥移時、聽驢子猶齕草路側、乃起跨驢、踉蹡而行。夜色迷悶、誤入澗谷、狼奔鴟叫、豎毛寒心。踟躕四顧、並不知其何所。遙望蒼林中、燈火明滅、疑必村落、竟馳投之。仰見高閎、以策撾門。内有問者曰、
「何處郎君、半夜來此。」
生以失路告。問者曰、
「待達主人。」
生累足鵠竢。忽聞振管闢扉、一健僕出、代客捉驢。
生入、見室甚華好、堂上張燈火。少坐、有婦人出、問客姓字。生以告。逾刻、靑衣數人、扶一老嫗出、曰、
「郡君至。」
生起立、肅身欲拜。嫗止之坐。謂生曰、
「爾非馮雲子之孫耶。」
曰、
「然。」
嫗曰、
「子當是我彌甥。老身鐘漏並歇、殘年向盡、骨肉之間、殊多乖闊。」
生曰、
「兒少失怙、與我祖父處者、十不識一焉。素未拜省、乞便指示。」
嫗曰、
「子自知之。」
生不敢復問、坐對懸想。嫗曰、
「甥深夜何得來此。」
生以膽力自矜詡、遂一一歷陳所遇。嫗笑曰、
「此大好事。況甥名士、殊不玷於姻婭、野狐精何得強自高。甥勿慮、我能爲若致之。」
生稱謝唯唯。嫗顧左右曰、
「我不知辛家女兒、遂如此端好。」
靑衣人曰、
「渠有十九女、都翩翩有風格。不知官人所聘行幾。」
生曰、
「年約十五餘矣。」
靑衣曰、
「此是十四娘。三月間、曾從阿母壽郡君、何忘卻。」
嫗笑曰、
「是非刻蓮瓣爲高履、實以香屑、蒙紗而步者乎。」
靑衣曰、
「是也。」
嫗曰、
「此婢大會作意、弄媚巧。然果窈窕、阿甥賞鑒不謬。」
即謂靑衣曰、
「可遣小貍奴喚之來。」
靑衣應諾去。移時、入白、
「呼得辛家十四娘至矣。」
旋見紅衣女子、望嫗俯拜。嫗曳之曰、
「後爲我家甥婦、勿得修婢子禮。」
女子起、娉娉而立、紅袖低垂。嫗理其鬢髮、捻其耳環、曰、
「十四娘近在閨中作麼生。」
女低應曰、
「閒來只挑繡。」
囘首見生、羞縮不安。嫗曰、
「此吾甥也。盛意與兒作姻好、何便教迷途、終夜竄谿谷。」
女俛首無語。嫗曰、
「我喚汝、非他、欲爲阿甥作伐耳。」
女默默而已。嫗命掃榻展裀褥、即爲合巹。女然曰、
「還以告之父母。」
嫗曰、
「我爲汝作冰、有何舛謬。」
女曰、
「郡君之命、父母當不敢違。然如此草草、婢子即死、不敢奉命。」
嫗笑曰、
「小女子志不可奪、真吾甥婦也。」
乃拔女頭上金花一朵、付生收之。命歸家檢曆、以良辰爲定。乃使靑衣送女去。聽遠雞已唱、遣人持驢送生出。數步外、歘一囘顧、則村舍已失、但見松楸濃黑、蓬顆蔽冢而已。定想移時、乃悟其處爲薛尚書墓。薛故生祖母弟、故相呼以甥。心知遇鬼、然亦不知十四娘何人。咨嗟而歸、漫檢曆以待之、而心恐鬼約難恃。再往蘭若、則殿宇荒涼。問之居人、則寺中往往見狐狸云。陰念、『若得麗人、狐亦自佳』。
至日、除舍掃途、更僕眺望、夜半猶寂。生已無望。頃之、門外譁然。屣屣出窺、則繡幰已駐於庭、雙鬟扶女坐靑廬中。妝奩亦無長物、惟兩長鬣奴扛一撲滿、大如甕、息肩置堂隅。生喜得麗偶、並不疑其異類。問女曰、
「一死鬼、卿家何帖服之甚。」
女曰、
「薛尚書、今作五都巡環使、數百里鬼狐皆備扈從、故歸墓時常少。」
生不忘蹇修、翼日、往祭其墓。歸見二靑衣、持貝錦爲賀、竟委几上而去。生以告女、女視之、曰、
「此郡君物也。」
邑有楚銀臺之公子、少與生共筆硯、相狎。聞生得狐婦、餽遺爲餪、即登堂稱觴。越數日、又折簡來招飮。女聞、謂生曰、
「曩公子來、我穴壁窺之、其人猿睛而鷹準、不可與久居也。宜勿往。」
生諾之。翼日、公子造門、問負約之罪、且獻新什。生評涉嘲笑、公子大慚、不懽而散。生歸、笑述於房。女慘然曰、
「公子豺狼、不可狎也。子不聽吾言、將及於難。」
生笑謝之。後與公子輒相諛噱、前郤漸釋。
會提學試、公子第一、生第二。
公子沾沾自喜、走伻來邀生飮。生辭、頻招乃往。至則知爲公子初度、客從滿堂、列筵甚盛。公子出試卷示生。親友疊肩歎賞。酒數行、樂奏作於堂、鼓吹傖儜、賓主甚樂。公子忽謂生曰、
「諺云、『場中莫論文。』此言今知其謬。小生所以忝出君上者、以起處數語、略高一籌耳。」
公子言已、一座盡贊。生醉不能忍、大笑曰、
「君到於今、尚以爲文章至是耶。」
生言已、一座失色。公子慚忿氣結。客漸去、生亦遁。醒而悔之、因以告女。女不樂曰、
「君誠郷曲之儇子也。輕薄之態、施之君子、則喪吾德、施之小人、則殺吾身。君禍不遠矣。我不忍見君流落、請從此辭。」
生懼而涕、且告之悔。女曰、
「如欲我留、與君約、從今閉戸絶交遊、勿浪飮。」
生謹受教。
十四娘爲人勤儉灑脱、日以紝織爲事。時自歸寧、未嘗逾夜。又時出金帛作生計。日有贏餘、輒投撲滿。日杜門戸、有造訪者、輒囑蒼頭謝去。
一日、楚公子馳函來、女焚爇不以聞。翼日、出弔於城、遇公子于喪者之家、捉臂苦邀。生辭以故。公子使圉人挽轡、擁之以行。
至家、立命洗腆。繼辭夙退。公子要遮無已、出家姬彈箏爲樂。
生素不羈、向閉置庭中、頗覺悶損、忽逢劇飮、興頓豪、無復縈念。因而酣醉頽臥席間。
公子妻阮氏、最悍妒、婢妾不敢施脂澤。日前、婢入齋中、爲阮掩執、以杖擊首、腦裂立斃。公子以生嘲慢故、啣生、日思所報、遂謀醉以酒而誣之。乘生醉寐、扛尸床間、合扉徑去。
生五更酲解、始覺身臥几上。起尋枕榻、則有物膩然、紲絆步履、摸之、人也。意主人遣僮伴睡。又蹴之、不動而殭。大駭、出門怪呼。廝役盡起、爇之、見尸、執生怒鬧。公子出驗之、誣生逼奸殺婢、執送廣平。
隔日、十四娘始知、潸然曰、
「早知今日矣。」
因按日以金錢遺生。
生見府尹、無理可伸、朝夕搒掠、皮肉盡脱。女自詣問。生見之、悲氣塞心、不能言説。女知陷阱已深、勸令誣服、以免刑憲。生泣聽命。女還往之間、人咫尺不相窺。
歸家咨惋、遽遣婢子去。獨居數日、又託媒媼購良家女、名祿兒、年已及笄、容華頗麗、與同寢食、撫愛異於群小。
生認誤殺擬絞。蒼頭得信歸、慟述不成聲。女聞、坦然若不介意。既而秋決有日、女始皇皇躁動、晝去夕來、無停履。每於寂所、於邑悲哀、至損眠食。
一日、日晡、狐婢忽來。女頓起、相引屏語。出則笑色滿容、料理門戸如平時。
翼日、蒼頭至獄、生寄語娘子一往永訣。蒼頭復命。女漫應之、亦不愴惻、殊落落置之。家人竊議其忍。
忽道路沸傳、楚銀臺革爵、平陽觀察奉特旨治馮生案。蒼頭聞之喜、告主母。女亦喜、即遣入府探視、則生已出獄、相見悲喜。俄捕公子至、一鞫、盡得其情。生立釋寧家。歸見闈中人、泫然流涕、女亦相對愴楚、悲已而喜。然終不知何以得達上聽。女笑指婢曰、「此君之功臣也。」
生愕問故。
先是、女遣婢赴燕都、欲達宮闈、爲生陳冤。婢至、則宮中有神守護、徘徊御溝間、數月不得入。婢懼誤事、方欲歸謀、忽聞今上將幸大同、婢乃預往、偽作流妓。上至句闌、極蒙寵眷。疑婢不似風塵人。婢乃垂泣。上問、「有何冤苦。」婢對、
「妾原籍隸廣平、生員馮某之女。父以冤獄將死、遂鬻妾句闌中。」
上慘然、賜金百兩。臨行、細問顛末、以紙筆記姓名、且言欲與共富貴。婢言、
「但得父子團聚、不願華膴也。」
上頷之、乃去。
婢以此情告生。生急拜、淚眥雙熒。
居無幾何、女忽謂生曰、
「妾不爲情緣、何處得煩惱。君被逮時、妾奔走戚眷間、並無一人代一謀者。爾時酸衷、誠不可以告愬。今視塵俗益厭苦。我已爲君蓄良偶、可從此別。」
生聞、泣伏不起。女乃止。夜遣祿兒侍生寢、生拒不納。朝視十四娘、容光頓減、又月餘、漸以衰老、半載、黯黑如村嫗、生敬之、終不替。女忽復言別、且曰、
「君自有佳侶、安用此鳩盤爲。」
生哀泣如前日。又逾月、女暴疾、絶食飮、羸臥閨闥。生侍湯藥、如奉父母。巫醫無靈、竟以溘逝。生悲怛欲絶。即以婢賜金、爲營齋葬。數日、婢亦去、遂以祿兒爲室。
逾年舉一子。然比歳不登、家益落。夫妻無計、對影長愁。忽憶堂陬撲滿、常見十四娘投錢於中、不知尚在否。近臨之、則豉具鹽盎、羅列殆滿。頭頭置去、箸探其中、堅不可入、撲而碎之、金錢溢出。由此頓大充裕。
後蒼頭至太華、遇十四娘、乘靑騾、婢子跨蹇以從、問、
「馮郎安否。」
且言、
「致意主人、我已名列仙籍矣。」
言訖、不見。
異史氏曰、「輕薄之詞、多出於士類、此君子所悼惜也。余嘗冒不韙之名、言冤則已迂、然未嘗不刻苦自勵、以勉附於君子之林、而禍福之説不與焉。若馮生者、一言之微、幾至殺身、苟非室有仙人、亦何能解脱囹圄、以再生於當世耶。可懼哉。」