今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅6 黒羽秋鴉亭 山も庭にうごきいるゝるや夏ざしき 芭蕉
本日二〇一四年五月二十二日(陰暦では二〇一四年四月二十四日)
元禄二年四月 四日
はグレゴリオ暦では
一六八九年五月二十二日
である。
秋鴉(しうあ)主人の佳景に對す
山も庭にうごきいるゝるや夏ざしき
秋鴉主人の佳景に對す
山も庭もうごき入(いる)るや夏坐敷
[やぶちゃん注:第一句は曾良の「俳諧書留」。第二句は「雪まろげ」(正しくは「雪滿呂氣」・曾良編・周徳校訂・天明三(一七八三)年刊・河合曾良(慶安二(一六四九)年~宝永七(一七一〇)年)没後六十七年後の刊行)のものであるが、今栄蔵氏は新潮古典集成の注で「庭も」は誤記と推定されている。「曾良随行日記」によれば、これは四月四日の句である(以下、注参照)。
「秋鴉主人」黒羽大関藩館代浄法寺図書桃雪高勝の別号。芭蕉はこの四日に余瀬の彼高勝の実弟の鹿子畑翠桃忠治の屋敷から彼の屋敷に招かれ、十一日まで滞在し、十五日にも訪れ、翌十六日に余瀬へ戻って、現在の栃木県那須郡那須町大字高久へと出立した。この句は、恐らくは最初に高勝邸を訪れた今日の挨拶句である。この秋鴉亭について曾良は「俳諧書留」に、
淨法寺圖書何がしは那須の郡黑羽のみたちをものし預り侍りて、其私の住ける方もつきづきしういやしからず。地は山の頂にさゝへて、亭は東南にむかひて立り。奇峯亂山かたちをあらそひ、一髮寸碧繪にかきたるやうになん。水の音鳥の聲、松杉のみどりもこまやかに、美景たくみを盡す。造化の功のおほひなる事、またたのしからずや。
と記している(引用は山本健吉「芭蕉全発句」に載るものを参考に、一部原本誤字と思われる箇所を補正、正字化して示した)。今氏によれば、この句の「山」はこの秋鴉亭の庭の借景としての遠景にある山を指し、「伊勢物語」七十七段『「山もさらに堂の前に動き出でたるやう」という面白い表現をふまえて趣向した』ものとされる。
今氏は第二句を誤字とされるが、寧ろ、私は第二句目のダイナミズムの方が吹っ切れて面白い。自動詞・他動詞の五月蠅い国語学的指摘は不要で、ここはまさに――借景の翠なす山々も風雅清涼なる庭も渾然一体となって座敷の中の壺中天となる――と私は読みたい。本句は「奥の細道」には出ない。「黒羽」の段を以下に示す。光明寺の「夏山に足駄をおかむ首途哉」の句は実は時系列では後の句で、そこで再度示して注するので、ここでは本文のみを示して、注はしない。
*
黑羽の舘代浄坊寺何某の方ニ音信ル
おもひかけぬあるしのよろこひ日夜語
つゝけて其弟桃翠なと云か朝夕勤
とふらひ自の家にも伴ひて親属の
方にもまねかれ日をふるまゝに
ひとひ郊外に逍遙して犬追ものゝ跡
を一見し那すの篠原をわけて玉藻の
前の古墳をとふそれより八幡宮に詣
与市宗高扇の的を射し時別ては我
国氏神正八まんとちかひしも此神社
にて侍ときけは感應殊しきりに覚らる
暮れは桃翠宅に歸る
修驗光明寺と云有そこにまねかれて
行者堂を拜す
夏山に足駄をおかむ首途哉
*
■異同
(異同は〇が本文、●が現在人口に膾炙する一般的な本文)
〇与市宗高扇の的を射し時 → ●與市扇の的を射し時
■やぶちゃんの呟き
「犬追物の跡」:後掲される殺生石所縁の妖狐九尾狐の化身である玉藻の前を捕らえるため、犬を騎射する「犬追物(いぬおふもの)」の弓術技を練習した跡とも、狐は犬に似ていることからこの九尾狐退治自体を犬追物と称したとも伝える。
「那須の篠原」これは那須野一円の通称であるが、ここでは現在の大田原市の篠原地区にある玉藻の前の神霊を祭った玉藻稲荷神社がある。歌枕としても知られ、源実朝の、
もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原
辺りの和歌がイメージされていたのかも知れない。
「古墳」は先の妖狐玉藻の前の狐塚で、同稲荷神社の一キロメートルほど北東にあったが、現在は原形を留めておらず、塚跡の標柱のみが残っている。
「八幡宮」大田原市南金丸にある応神天皇を祀る那須総社金丸八幡宮那須神社(略して那須神社と呼称している)。但し、「平家物語」で、この地の出身とされる那須与一宗隆が屋島合戦で義経に命ぜられて扇の的を射る際に祈願したとされるのは、ここではなく、那須湯本にある温泉大明神(ゆぜんだいみょうじん)であるともされる。
なお、こことこの後の「雲巖寺」の段は実際の訪問の順列をかなり入れ替えて圧縮してある。頴原・尾形両氏は角川文庫版評釈で、この部分の創作的再構成について以下のように高く評価されている。
《引用開始》
この半月近い滞在記事の整理ぶりは、まことにあざやかで、四日の雲巌寺訪問の一条を翠桃兄弟を中心とする記事から切り離すとともに、犬追物の跡・玉藻の前の古墳などを巡覧した十二日の篠原逍遙と、十三日の金丸八幡参拝とを、一日の記事にまとめあげ、九日の光明寺参詣をその後へ回してある。桃雪・翠桃かたの往返は、その前にまとめて掲出しているが、主語が次々と転換するテンポの早い叙述が、交歓のよろこびを伝えて効果的だ。
光明寺参詣を最後に回したのは、「夏山に」の句を配する関係からで、ここを陸奥への第二の出発点として旅に勇む芭蕉の心おどりが、軽快に響いてくる。
《引用終了》
旧蹟も玉藻の前と弓術の那須与一という連関をスラーのように続けて美しい。事実、「奥の細道」を読む者は、まさか奥羽へのトバ口でしかない、しかも句も示されていないこの黒羽で」半月にもなんなんとする滞留を続けていたとは実は思わない(但し、「日夜語り續けて」「桃翠など云ふが朝夕(てうせき)勤めとぶらひ」「自らの家にも伴ひて親屬の方にも招かれ」「日を經るまゝに」という畳みかけにそれは匂わされてあり、しかもそれが何か、芭蕉のからすれば実は有難迷惑だったという陰のニュアンスさえも私には感じられるのは深読みであろうか)。]