言っとくが
柴田天馬訳蒲松齢「聊斎志異」の注を原則、附さないのは――これ――やりだしたら僕の性格からして、とんでもないことになることが解っているから、である。「西湖主」の例外的な注をご覧頂ければお分かりであろう。悪しからず、だ。だってさぁ、ルビ・タグだけでもこれ、結構、面倒なんだぜ(おまけにここのブログのHTML編集は後から編集しようとするとタグがめちゃめちゃになって全部やり直さなくてはならないというさらなる面倒もあるのであるんである)――まあ、電子化している僕が何より「聊斎志異」を精読出来て、すこぶる面白いからいいけどね――