血 山之口貘 / 詩集「鮪に鰯」完結
血
斉藤さんは発音した
だんだんだんだんということを
たんたんだんだんと発音した
それは矢張りのやはりのことを
それはやぱりと発音した
学校のことを
かっこう
下駄のことを
けたと発音した
こんな調子で斉藤さんはまずその
ごじぶんの名前の斉藤を
さいどうですと発音した
争えないのは血なのであるが
かなしいまでに生々と
大陸
大海
大空はむろん
たったひとりの人間の舌の端っこでも
血らは既に血を争っていた
斉藤さんは誰に訊かれても決して
ごじぶんの生れた国を言わなかった
言うには言うが
眉間のあたりに皺などよせて
九州ですと発音した
[やぶちゃん注:【2014年7月22日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。注を一部改稿した。】思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」は本篇では清書原稿を底本としているが、そこでは二連に分かれている。最後の正字化版で再現しておく。
初出は昭和一六(一九四一)年五月発行の日本詩人協会編『現代詩 昭和十六年春季版』。
「斉藤さん」未詳であるが、明らかに沖繩方言に親しんだ沖繩の人である。よく知られていることであるが、若き日よりバクさんは沖繩方言を愛し、当時行われていた皇民化政策の一環として標準語化政策に激しく反発した。底本全集の年譜の大正六(一九一七)年の項には、四月に入学したバクさん(当時十四歳)について以下の記載がある。『当時は日本語標準語施行のため、方言罰札制度(方言を口にすると罰札を渡されそれをそのまま持っていると操行点一点減点となるもので、方言使用者をみつけてはその罰札をバトンするというもの)が行われていたが、貘は「意識的にウチナーグチ(沖縄語)を使ったりして左右のポケットに罰札を集め、それを便所の中へ捨てたり」(「わが青春記」)する生徒だった』とある(なお、「わが青春記」とあるが、これは昭和三〇(一九五五)年二月九日附『東京新聞』に載った「初恋のやり直し―わが青春記」の一節で、当該旧全集では随筆「初恋のやり直し」と題して第三巻に所収するものである)。その思いは戦後も一貫して主張され続けた。その思いが先の「弾を浴びた島」に如実に現わされていることは言うまでもあるまい。
以下、正字化版を清書原稿様式で示す。「斉藤」は迷ったがママとした。
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血
斉藤さんは發音した
だんだんだんだんということを
たんたんだんだんと發音した
それは矢張りのやはりのことを
それはやぱりと發音した
學校のことを
かっこう
下駄のことを
けたと發音した
こんな調子で斉藤さんはまずその
ごじぶんの名前の斉藤を
さいどうですと發音した
爭えないのは血なのであるが
かなしいまでに生々と
大陸
大海
大空はむろん
たったひとりの人間の舌の端っこでも
血らは既に血を爭っていた
斉藤さんは誰に訊かれても決して
ごじぶんの生れた國を言わなかった
言うには言うが
眉間のあたりに皺などよせて
九州ですと發音した
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本詩を以って「鮪に鰯」の詩本文は終わり、冒頭に注したように最後に長女ミミコ泉さんの「後記にかえて」が附されてある。]