萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(18) 「秋より冬へ」(後)
こゝろよき朝飯(あさげ)の後のストーブに
林檎を燒けば淡雪のふる
[やぶちゃん注:校訂本文は「朝飯」を「朝餉」と『訂』する。採らない。]
吉原のおはぐろ溝のほのぐらき
中にひかれる櫛の片われ
[やぶちゃん注:「おはぐろ溝」は原本では「おはぐろ構」。誤字と断じて訂した。校訂本文も「おはぐろ溝」とする。この一首は二首前と同じく朔太郎満二十六歳の時、大正二(一九一三)年十月十一日附『上毛新聞』に「夢みるひと」名義で掲載された五首連作の二首目、
吉原(よしはら)のおはぐろ溝(どぶ)のほの暗(くら)き中(なか)に光(ひか)れる櫛(くし)の片割(かたわれ)
の表記違いの相同歌である。]
あはれなる落葉の上の戀がたり
み膝のうへの夕時雨かな
藤村のふるき詩集のあひだより
あせし菫の落ちし悲しさ
ほのかにも木立の影に煙草の灯
白きベンチのひかる夕暮
[やぶちゃん注:校訂本文では「煙草の灯」を「煙草の火」と『訂』する。採らない。]
赤城山鹿の子まだらに雪ふれば
故郷びとも門松をたつ
□
[やぶちゃん注:この一首は朔太郎満二十四歳の時、『スバル』第三年第三号(明治四四(一九〇三)年三月発行)に「萩原咲三」名義で掲載された(「咲二」の誤りで校正漏れか誤植)三首の二首目、
赤城山鹿の子まだらに雪ふれば故郷びとも門松を立つ
の表記違いの相同歌である。
なお、表記通り、この次行の前の「門松をたつ」の「を」の位置の左側に『□』が配されて、本「秋より冬へ」歌群の終了を告げる。]
« 飯田蛇笏 靈芝 昭和十年(九十九句) Ⅵ | トップページ | 北條九代記 卷第六 京方武將沒落 付 鏡月房歌 竝 雲客死刑(2)承久の乱【二十八】――鏡月房以下三名、詠歌により救わる »