彼の女は鈍感だから 山之口貘
彼の女は鈍感だから
誰かあの四辻の角の二階の窓から
私(わし)の戀人の右の乳房を盜んでくれ
不眠症(ねむ)られぬ私(わし)の眼の彷徑(さまよ)ひにお前は痺れた指のやうに鈍感である
何故お前は私(わし)の約束を違へたか、しかもお前はお前の耳朶(みみたぶ)から 私(わし)の合圖の口笛を何方へ追ひ返したか
お前の瞳(め)が 井戸の口のやうに狹くなつてると言ふのか
未だ十八のお前だのに、もう髮の毛が一握(ひとにぎり)にでもなつたと言ふのか
おゝお前は私(わし)にあきめくらと言ふのか
否えお前の脈搏(なみう)ちはたつた二十だのに、私(わし)は二百以上も搏(なみう)つてゐる……
けつど戀人よ 空虛な私(わし)の胸をお前はどうしたと言ふのだ?
あゝお前の左の乳房から 私(わし)の掌に温い感觸(さはり)の夢がながれてくる……
お前の お前の乳房の吃驚(びつく)らするのは何時だ?私の眼の危い傳言を誰からかお前がきいて。
けつどああ誰かあの四辻の角の二階の窓から
早う私(わし)の戀人の右の乳房を盜んでくれ 吃驚らする彼女の視線の第一を私(わし)に注(そ)らしめてくれ。
[やぶちゃん注:大正七(一九一八)年~大正一〇(一九二一)年の間(バクさん十五歳から十八歳)に創作された作品。
【二〇一四年五月二十四日追記】思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と校合した。「何時だ?私」は新全集に拠る。]
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因みに昨日、昨年秋に刊行された思潮社版の山之口貘の新全集版の第一巻詩篇を注文した。
近日中に、それとの再校合と、さらに同新全集で追加された詩群を電子化してお目にかけることが出来る。
乞うご期待――
……というより……僕自身未だ読んだことのないバクさんの新発見詩篇に、僕はいまからもう、わくわくどきどきしているのだ――
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追伸:以上をツイッターでツイートしたら、フォローしている当の思潮社の公式アカウントがツイートして呉れた。
よし! これはもう、お墨付きじゃ!
バクさん、ちょっと嬉しか!!
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